本物と偽物、事実と虚構の線引きは難しい。
特に映画や文学といった法螺話を生業にしている業界においては、
如何に巧みに嘘をつくかがその価値を決定づける側面も否定できないのだ。
その経緯を追うドキュメンタリーもまた一見真実のみを伝える、
事実に即したものかと思われているが、撮影段階はもちろん、
根拠となる資料の選択、編集と全てにおいて監督の恣意的な作為があり、
プロパガンダなきドキュメンタリーは決して存在せず、ドキュメンタリーは必ず嘘をつく。
例えば見るからに怪しげな法螺吹きと高級スーツに身を包む詐欺師とは実は本質的には同質なのだ。
でもどちらが性質が悪いかは明確だ。
サンフランシスコ在住の40歳女性が、自らのプロフィールをでっち上げ、私小説として発表し、
親類の女性を男装させ、替え玉とする。
自分の平凡な容姿や生い立ちへのコンプレックスを裏返しにした変身願望、
多重人格性などで彼女の言動を結果論的に説明しても然程意味はない。
ただ、その作品の内容は周囲を震撼させ、各国で翻訳され一躍ベストセラー作家となった。
2006年にニューヨークタイムズの暴露記事までは全てが真実と事実であると信じされていたのだ

果たしてこの一連の事件では、騙した方が悪いのか、騙された方が悪いのか?

冒頭いきなり、やり玉に上がるのはウィノナ・ライダーだ。
「愛してるわ、JT~!」と壇上で感極まり叫ぶアーカイブがこれ見よがしに引用される。
深読みすれば、果たしてそこに全く悪意はなかたのだろうか?あのウィノナだぞ。
他にもガス・ヴァン・サント、アーシア・アルジェントなどの監督とのコラボレーションの経緯が紹介される。
ただ、録音テープや音声記録(疑い出せばこれも本物かは怪しいが)のみのトム・ウェイツ、
コトニー・ラブ、ビリー・コーガンなども次々と生贄のされる。
ある意味忘れたい恥部なのに、よく当人たちの使用許可が下りたものだ。
同時に善なる被害者のようで、実は時流に乗って、
流行りもののリロイを巧みに利用した搾取者たちでもある。
そもそも監督や作家はプロの法螺吹きであるならば、役者はプロの別人格憑依者なのだ。
それを追うドキュメンタリー作家もまた事実を取捨選択、歪曲して、仮想事実をでっちげる詐欺師なのだ。
何せ全員が筋金入りの本物の嘘つきなのだ。

一応は人騒がせなローラ・アルバートに対しては法的な決着(判決)はついたようだが、
もうこの世界では被害者も加害者もない。真実も虚構もない。
ドキュメンタリー映画としてはネタ一発の手法も構成、演出も平凡で退屈、
誰しも嘘つきばかりなのでにも感情移入できない宙ぶらりん感が否めないが、
確かにこれ以上にドキュメンタリーという真実を装う偽装世界にふさわしい主題はない。

偏愛度合★★★