あゝ「ゴーストワールド」の現代アップデート版だよな。
もちろん繰り返して観ている大好きな作品。
密かに、フェロモンを周囲へ発散する前の若かりし頃のスカヨハも楽しめる。


視点となるヒロインの年代特有の溢れんばかりに過剰な自意識とどこか斜に構えた冷めた視線、
周囲の他者が全部アホに見えながらも同時にやたらと低い自己評価というキャラクター設定や
幼馴染の親友の関係性、スティーヴ・ブシェーミとウディ・ハレルソンという規格外のオッサンを
脇に配するなど物語構造もよく似ている。
「ゴーストワールド」の頃にはまだ「こじらせる」という言葉もなかったし、SNS以前でだった。
現在と比べれば、ある意味牧歌的な世界だった。
過剰な自意識世界は変わらなくとも、取り巻く世界が大きく変わったのだ。
ネットにメールとやこしいコミュニケーションツールによってより一層複雑化、拡張されている。
それも単なる独り言であるTwitterではなく、Facebook映画なのだ。
コミュニティには双方向のパーミッションが必要であり、
その場では実像、虚像問わず、求められる充実した姿を演じ続けなければならない。
面倒くさい種族にとっては本当に暮らしにくい場所だけど、完全切り離すこともまたできない。
またネットに付きまとう発信は簡単だけど、元には戻せない不可逆な方向性も痛感。
思わず「いいね」とクリックしたくなるSNSのドツボ。
主人公を孤立化させるセオリー通りの類型的なキャラクター配置のようであり、
ちゃんとそれぞれが最後には変化してゆく。
誰しも表面に見える外側と隠された内側があり、常に役割を演じることとなる。
憎たらしいヘイリー・スタインフェルドが世界と折り合いをつけようと足掻く姿に
共感、感情移入できるかどうかのみだけど、私的にはずっと偏愛したくなる愛すべき作品。
「ゴーストワールド」の血筋は今も健在で、
これからも形を変えて次世代へとアップデートされるだろう。


偏愛度合★★★★