まずはお断り。
当方50代前半の紛れもないオッサン。
いくら男性上位なマチズモを毛嫌いし、マウンティングには興味なく、また男性ホルモンが少ない
(体毛や髭が薄い)としても、所詮オッサンという枠組みからは逃れられない。
この手の映画について書こうとすれば、女性の容姿やスタイルといった外面性、
内面的な性格や社交性などのどうしても男視線での観察という呪縛からは逃れられない。
異性からは不快に感じることもあろうが、そこをポリティカル・コレクトネスに清き正しく美しくに
従えば、確かに角も立たないだろうが、正直に何も語ることが出来ないとうジレンマに陥る。
もし不愉快に感じたら、さっさと離脱してください。

さて本題、というより結論。
エイミー・シューマーが駄目だ。
役柄への共感やあるいはコメディモチーフとしての笑いやエールどころか、
ずっと生理的な拒否感が続き、関西弁で言う「さぶいぼ」が出るくらいに気色悪いのだ。
SNL出身の人気コメディアンらしく、一部実体験をベースにしながらも今作の脚本も兼ねている。
洋の東西を問わず、妙齢の女性のこじらせ物語って流行りなのだろうか?
ある種自虐的ともいえる痛い展開をあからさまに披露している。
そこでちょっと問題となるのがこじらせた女性を演じる女優問題。
選ばれた美貌を有する女優がわざわざブスメイクして、野暮ったい服装をしてブス演技に挑戦する。
世間的には勝ち組がわざわざリア充ごっこならぬ、不幸ごっこをもっともらしく演じる姿のを見て、
果たして同性は共感するのだろうか?常々違和感を感じていて、ずっと謎だった。
でも今作は更にツイストした違和感がある。
一夫一妻制を嫌悪する浮気性の父の歪んだ教えを守り、
「電話番号を教えない」「お泊りしない」と男性とひと晩限りの関係を数多に繰り返してきた女性だ。
さぶいぼ者としては、、どうしてもそこにリアリティが感じられない。

果たして彼女がそんなにも「電話番号を知りたい」「お泊りしたい」女性であり、
願わくはステディな関係を維持していきたいと思う女性なのだろうか?
アメリカ人と日本人の趣味の違いはあれども、(あくまでも役柄上だけど)この容姿と
スタイル、ファション、性格、ファションとどれをみても疑問詞ばかりが浮かぶ。
絶対御免だ。
まぁ百歩譲って「それはキミの好みの問題やろ」とい流しても、
もっと根深いのは自作自演という自意識の垂れ流しだ。
この手の下ネタアメリカンおバカコメディは90分から長くても100分程度の尺であって欲しい。
堂々と2時間越えで延々とグダグダと痴話劇を繰り返す。
余りにも薄っぺらい苦悩と葛藤が続く。自作脚本故か、一切引き算のない、執拗さだ。
垂れ流される自意識、ましてやその人が苦手なタイプであればもはや拷問だ。
脚本を担当するなら、いっそ自分自身は脇に徹して、
例えば妹役のブリー・ラーソン(特に好きではないが、ずっと華やかさはあり、旬な女優のひとり)を
ヒロインにするなど、どのみちマイワールド全開なのだから、
少しだけでも客観的になって、ぐちゃぐちゃの自意識の垂れ流しを押えれば印象は変わった気がする。
ちなみに女性だけなく、イイ男も皆無。相手役のジャド・アパトーもちょと気持ち悪い系。
映えるのはティル・スウィントンくらいか。
たかが映画だけど、生理的な壁は高い。どうしても駄目なものは駄目なのだ。

偏愛度合★