原作も監督も未体験で、予告編だけで全く前知識なしで鑑賞。
舞台が京都市内ということが大きな要因だけど、
然程期待はしていなかっが、これが結構楽しめたのだ。
同じく京都で大学時代を過ごした身とだけど、劇中の様な荒唐無稽な物語の共有は不可能だけど、
背景に流れる町並みには覚えがあり、やはり懐かしさを伴う。
「フランソワ」「餃子の王将」「進々堂」などという実在の看板が何気に描かれるのだ。
勿論エンドクレジットには協賛として賛辞されている。

しかし、そもそも左岸右岸問題がある。
鴨川を挟んで西側(右岸)と東側(左岸)には大きな溝、いやこれは結界とも言うべき国境があるのだ。
片や我が国最高峰の国立大学のひとつであり、片や私立キリスト教義のお坊ちゃん系大学。
目立って仲が悪いわけではないが、後者からは一方的にコンプレックスがあり、鴨川を挟み、
中立地帯である出町柳界隈から以東は敵地となり、常にアウェイ感が伴う。
立入禁止ではないが、侵入には多少の緊張感が伴う。
パリの左岸右岸と似ているかも知れない。
右岸には凱旋門にルーブル美術館、シャンゼリゼと観光名所が並ぶが、
左岸には、エッフェル塔、オルセー美術館に知の街とも言うべきエコ―ルドパリ発祥のモンパルナスだ。
聖地カフェ・ド・フロールこそ進々堂ではないのか?この店は劇中でも大きな意味を持つ。
個人的には右岸に属し、別の意味で聖地である御所はお馴染みでも、
伝統的な進々堂へ実際に足を踏み入れたのは極々近年だ。
当時は喫茶店で優雅に珈琲を楽しむはした金はなく、
それ以上に敵地でゆったりとくつろげるはずがないのだ。

おっと、大きく本題から脱線してしまった。
決して左岸出身の作家だからと敬遠していたわけではないが、映画の後で原作読了という流れ。
比較すると圧倒的に映画の勝利だ。
確かに原作の明治文豪の文体を意図的に模したような口語的なこねくり回した言い回しと、
スラップスティックなナンセンス感の共存は斬新な手ごたえだった。
でも一度映像を通してしまうと、全てはアニメーションのキャラクターデザインでアテ読みとなり、
本来の文体から湧き出る想像力が全て先日脳裏に刻み込まれた映像へと自動変換されてしまうのだ。
それくらい映像のインパクトとパワーが満ち溢れていた。

中村佑介のキャラクターデザインは見慣れた作風のママであり、予定調和だけど、
監督湯浅政明の作風なのか、それをアニメーションとして息を吹き込む、動かす技には驚いた。
徹底して簡略化されたグラフィカルな線画にカトゥーンアニメのように誇張された動きが素晴らしい。
幼少期に繰り返して観た「トムとジェリー」などに通じる、
リアリティ無視の誇張や肉体変形や動きの緩急が記憶の中から蘇って来た。
まるで劇中で乙女が思い出した「ラ・タ・タ・タム」の記憶のようだ。
その背景画となる京都の風景もまた記憶を呼び起こす。
昨今は京都へ出向く度に、街並や店が変わり、
ナショナルチェーンや他所さん資本の京都偽装店ばかりが並び、興ざめが激しいが、
劇中の風景は記憶に近い疑似感を残す。
もちろん本物ではないが、記憶というフィルターを通して、
自己都合で美化したり、事実歪曲した虚像だ。
これがあの町で学生時代を過ごした者にとっては何とも心地よいのだ。
原作は4章立てで、春から夏、秋、冬へと四季を巡る物語なのだが、それをひとつの流れで繋いで、
まるで一晩で起こった夢のごときに再構成する脚本もまた素晴らしい。
星野源の配役は今一番旬の役者故の客寄せ的な側面は否めないが、
実は乙女役の花澤香菜の声が心地良い。
彼女がいったい誰かのか、ジャンル門外漢には不明だけど、
ひとり際立っていて可憐で涼しげでいて、芯が通った強さというキャラクターそのままの印象を残す。

偏愛度合★★★★