実話を元にした物語と聞くとどうも身構えてしまう。正直ちょっと苦手なのだ。
昨今、人の持つ想像力を源とした虚構としての物語よりも現実世界が先行している時代となった。
時として、現実の事件がホラーや戦争映画よりも凄惨であったり、
わずか十数年前なら想像もできなかった、映像テクノロジーがごく身近に安価で存在して、
映画の独壇場だった領域を簡易に置換する。
Google Earthの存在はもちろん、
こんな予想外の活用方法なんて、どの国の脚本家も思いつかなかったのだ。
そんな先行する現実を映画の物語が追う場合、重要となるのは映画ならではの語り口だ。
結局映画は語り口こそが全てだ。
結論を先に言えば、そこにこの映画の問題点がある。

個人的にはこのニュースを知らなかったが、
でも事実が先行しているので物語の結論が明らかだ。
だから如何に結論にたどり着くかという道のりにこそ語り口の手腕がある。
結論から俯瞰した物語全体像の形成と時系列の設定こそが語り口だ。
「LION」では主人公の幼少期から成人まで、中抜きはあっても基本的に時間を順序通りに追う。
冒頭から描かれるインドの風景は見事。
延々と続く草原を歩く少年を空から俯瞰するショット、繁華街の人の活気、
夜の駅舎などに酔いながらも、そこで迷子となった少年の不安感をひしひしとリアルに感じられる。
でもその後オーストラリアの夫婦の養子となり、
渡豪してからは何故か物語は映像の持つ力が失速し始める。
確かに配された役者は文句なし。
デヴ・パテルもイイ男だし、母役のニコール・キッドマン、恋人役のルーニー・マーラも手堅い。
でも一向に乗り切れない。
執拗に繰り返される記憶のカットバック(フラシュバック)がくどいのだ。
ぶっちゃけ演出がありきたりで臭いのだ。
主人公も恵まれた現在の環境への違和感といった
ありきたりで薄っぺらいの苦悩感を形通りに描いている風にしか思えない。
それは予定調和の結論の感動へと観客を導く、あからさまであざとい演出に陥っている。
現実(実話)を馬鹿正直に順序通りに語っているだけなのだ。
Google Earthの思いもよらない使い方も活かされていない。
映画ならではの、加味された表現方法や創造力はない。
中盤以降はダラダラと失速するばかりだ。
更に文字通りの蛇足と言える、モデルとなった本人たちの写真や映像がクレジットに流れると
「ケッ!」とあきれ果てて、冷めるしかない。
個人的には些か偏屈かもしれないが、百歩譲って実話を元にした話はいいのだが、
この最後の本人登場だけはどうしても許せない。
とって付けた実話感がただひたすらに鬱陶しいだけだ。

偏愛度合★★★