元ネタはイリヤ・ナイシュラーのパンクバンドのMVらしい。


一発ネタとして、3分間のMVならインパクト抜群だけど、
劇映画として成立させるにはこのアイディアを30倍に引き伸ばさなくてはならない。
昔から全編一人称映画としてはチャンドラー「湖中の女」をロバート・モンゴメリーが全編
フィリップ・マーロウの視点で描いたという作品が有名だけど、未だに実物は観たことはない。
手法のみが語られ、肝心の出来具合は怪しいみたいだけど。
本来映画というメディアは、常に撮影対象と撮影者がいるという客観性が基本。
神なる視点とも言うべき、現実ではありえない不在の撮影者という第三者の視点を設けて、
それを観客はカメラの存在を意識しないという前提で傍観者として、同調させることで物語を語る。
主観的のみで構成することは「撮影」という定義に関して、
何故そこにカメラがあるのか、何故撮影するのかという状況設定への問いを抱えることになる。
昨今ジャンルとして定着したPOV形式などはその言い訳のアイディア勝負みたいなものだ。
主人公=撮影者=視点という力技で全編を通したのが今作。
自らを客観的に写すショットはなく、手足など視線の届く範囲のみに限られる。
視点である主人公のアイデンティティを声が出ない、記憶混乱(喪失)という更なる縛りを設け、
ただ行動することのみしか許されない。
観客視点も状況把握できないままカメラと一体化して行動を追うゲームをプレイする感覚だ。
ヘッドセットに取り付けた小型カメラで、実際に生身のアクションをこなしながらなので、
最初慣れないうちは相当映像の揺れ具合に酔う。
でも銃を乱射し、ビルから飛び降り、移動車両でチェイスをこなす迫力は一人称ならではの一体感だ。
でも流石にそれでは90分間の物語は持たないので、主人公の行動を導く先導者を設けている。
ひとりが正体不明のジミーという男。
登場する度に七変化とばかりに容姿が異なり、意味ありげなアドバイスを残して去っていく狂言回し役。
何となく変装俳優であるピーター・セラーズの姿が重なる役柄。
もうひとり、ファムファタールともいうべきヘイリー・ベネット演じる主人公の妻と自称するエステルだ。
最近出演作が続いているが、彼女の滲み出るエロい感じが殺伐とした画面を彩る。
状況説明は虚実は不明だけど、周囲の発言に従うしかない。
観客視点と一体となって真相へとたどり着くまでの行動こそが物語となる。
結構ゴア度は高く、周囲の人が大量に死にまくり、殺伐としているけど、
これだけの制約条件の中、片時も退屈させずに一気に観せる力技は凄い。
所詮は一発ネタとだけど、最高の出来具合に大いに満足。

偏愛度合★★★★