映画を観ることは私的な記憶の蓄積となる。
例えば、記憶にある初めての映画館の記憶は京都蛸薬師の映画館で観た「ゴジラ対メカゴジラ」だ.。
今となっては肝心の映画の内容は憶えていないが、半世紀近く前のことなのに、
劇場へ連れて行ってくれた従姉が映画の帰りに、裏寺通りでお好み焼きをご馳走してくれたことは
不思議と記憶されている。映画館での記憶の断片が人生を形作っていくのだ。
ネタバレにはなるが、たまたまTwitterで下記のリンク動画を発見した。


俄然興味がわいてきたきた。
更にはカエターノ・ヴェローゾ「Cucurrucucu Paloma」が劇中で使用されていることを知り、
何としてでも夫婦で観たいと思い、渋る妻を強引に連れ出し、公開直後に劇場へ。
というのはふたりともウォン・カーワイ監督が大好きであり、
夫婦の出逢いの一番最初の記憶の断片へとつながるからだ。
家業の珈琲屋へ営業に飛び込んできた彼女と何故か初対面なのに映画の話で盛り上がり、
ウォン・カーワイ「ブエノスアイレス」のサントラをカウンター越しに一緒に聴いた。
その時は客と店主の世間話だったけど、
それがきっかけで、すぐ後に結婚することになるとは全く想像もできなかったが。
終映後、ふたりで劇場を出て、まず口に出たのが

  「あんた、どんだけウォンカーワイ、好きやねん!」

という監督への愛情を込めたツッコミだった。
「ブエノスアイレス」をベースにビジュアルは「花様年華」風味に「恋する惑星」をミックスして、
最後は「マイ・ブルーベリー・ナイツ」へと行きつく徹底ぶり。
映像はクリスト・ファードイル流儀を緻密に再現して、
タンゴ風味の弦楽器にジュークボックスからから流れる古いポップソングと音楽も模倣している。
主人公はアフリカン・アメリカンなのに、脳内で自動変換されてアジアン・トニー・レオンされていた。
再会した親友がコックと務めるダイナ―のシーンなどは思わず唸った。
入口のカランとなるベルの音、ジュークボックスから懐メロに耳を傾け、
思わずケーキケースにブルーベリーパイが残っていないかを探してしまった。
そう、ふたりとも反応した箇所は共通だった。
それはまるでウォン・カーワイ作品のベストシーン選集のようだった。
映画を巡る私的な記憶の記憶は時として、他者と共有される。
やはり夫婦一緒に観てよかった。
監督自身のインタビューでも「ブエノスアイレス」などウォン・カーワイへの影響を言及している。
ネットで作品を称して
「ウォン・カーワイあるいはペドロ・アルモドバルがアメリカで撮った黒人童貞映画」
という言い回しがあったが、これは言い得て妙だ。
しかし30代の黒人監督と香港映画監督という到底繋がりそうもなかった線がグローバルで面白い。
劇場公開をリアルタイムで体験したというより、DVDで観たのだろうか?
今年のアカデミー賞作品賞を巡ってのドタバタ劇で注目された「ラ・ラ・ランド」と「ムーンライト」の二本。
ジャック・ドゥミ/ミシェル・ルグランとウォン・カーワイというシネフィル決戦、
実はどちらも30代のオタク監督対決だったとは驚いた。
更には影響を受けた作品が鈴木清順と大島渚(「御法度」)というディープなオチまでついてくるぞ。

さて本題。
主人公が無口で人と視線を合わせず、俯き加減というキャラクター設定もあり、台詞が極端に少ない。
また少年の成長に合わせての三部形式という構成だが、
物語の時間経過や背景などの説明補足もまた最小限にとどめて、全体的にミニマムな作風である。
助演男優賞でオスカーを受賞したマハーシャラ・アリの存在感は流石に見事なのだけど、
実は劇中の登場時間の短さにも驚く。
父親が不在で母親が薬物中毒という孤独な少年の疑似的な父親となり、
海で泳ぎを教えるカトリックの洗礼式の様な姿が印象的で、物語での素早い退場もまた余韻となる。
彼に父性を求めながらも、実母に麻薬を売っている矛盾した存在である。
父と息子、母と息子という関係性の変化が描かれる。
彼の後を追うかのように、容姿や服装、車などを真似た売人へと成長していく皮肉な結果。
劇的で起承転結が明確な出来事はなく、たゆまない静かな流れだけが作品を貫く。
ミニマムだけど、これが何とも心地よく、染み入ってくる。
007シリーズのマネーペニー役とは印象をがらりと変えたナオミ・ハリスの母役も素晴らしい。
作品を支えているのが何と言ってもジェームス・ラクストンの撮影だ。
フィルモグラフィを調べても、これまではそれ程印象的な作品はない。
結果的にはオスカー撮影賞受賞は「ラ・ラ・ランド」のシネマスコープ・テクニカラー再現だったが、
こちらも侮れない素晴らしさである。
実は対照的な撮影のようでありながらも、過去へのリスペクトは共通している。
クリストファー・ドイルを思わせる差し込む光を活用し、原色を配した色彩感、粗めの画質、
移動カメラの躍動感などが印象的。とりわけ黒人の肌の色合い、触感の表現が群を抜いている。
ポストプロダクションでのカラー調整の結果らしいが、監督自身のこだわりも大きいのだろう。

抑制された物語の静かな語り口、見事な映像と音楽、役者と揃って、文句なしの見事な作品。
特にウォン・カーワイ好きには堪らない作品であり、
多分夫婦の共通した記憶の一片として、末永く残っていく作品であろう。

偏愛度合★★★★★