お嬢さん」「哭声」に続く、怒涛の韓国鬼畜映画第三弾。
繰り返すが映画に安易な癒しや救い、安らぎやほっこり感を全く求めていないので、
ここで言う「鬼畜」とは最上級の褒め言葉となる。
暴力描写は容赦なく、非道で、欠片の救いも与えないという鬼畜感フルパワー稼働は
もはや不快という次元を通り越して、切ないくらいに、清々しさすら漂うのだ。

物語の図式は単純だ。
でもハリウッドアクション映画でお馴染みの正義と悪というの闘いとう単純構造ではない。
再開発を控える郊外の街を牛耳る悪徳市長とその暗部を暴こうとする検事という両翼の阿修羅。
両者に脅され、殴られ、転がされて、使い走りとしてこき使われる悪徳刑事。
全員が自己中心的で、利己的で、目的のために他者を利用することしか考えていない悪人ばかり。
シリアスでハードワークな現実世界と同様に、善と悪は対極ではない。
そこで容赦なく駆使される暴力もまたリアルで痛い。だから逆に清々しくすら思える。

韓国映画の醍醐味は濃ゆい曲者の役者たちにある。
名前の個別認識がしにくいという欠点はあるけど、その不敵な面構えは一度体験すれば記憶される。
市長役ファン・ジョンミン、検事役クァク・ドウォンという「哭声」のふたり怪演が凄まじい。
全く異なるキャラクターを演じ分けており、本当に同一人物かという演技の振れ幅だ。
二本続けて劇場で観ると、絶対楽しさも倍増する。
どことなく松重豊と上島竜兵を思わせ、そのパシリにされるのが西島秀俊似のチョン・ウソンだ。
韓国映画も台湾映画も、同じアジア圏内なので、「お嬢さん」の松たか子と満島ひかりのように、
身近な役者に勝手に置換してみるのも楽しみのひとつだ。
「アシュラ」では何と言っても、表と裏の顔を使い分ける市長役のファン・ジョンミンの
周囲の視線を意識したクサい演技の演技が何とも素晴らしい。
これだけでご飯のお代わりが三杯はいけるくらいだ。

ご飯繋がりだが、執拗なまでに食事シーンが暴力の合間に挟み込まれる。
ひたすら肉を食らい、酒をあおる。でもそれが全て致命的に不味そうなのだ。
映画における食事描写は物語や主人公の深層心理のメタファーだという説があるが、
同じ食事と言っても、例えば飯島奈美監修のアレとは対極にある荒んだものだ。
これは確信犯だろう。この映画を観終わっても、多くは焼肉を食いたいとは思わない。
肉食系という言葉が相応しい荒くれた男たちの生き残るための営みだ。

暴力描写の容赦なささも必見。
銃乱射や爆発物と言った効率的な大量虐殺ではなく、肉弾戦による非効率な暴力が蔓延している。
王道の拳での殴り合いや蹴りを手始めに、
わざわざ顔面に袋を被せて拳で殴り続けるといった執拗さ、
棍棒や短刀(ドス)、更には牛刀やカッターナイフといった刃物での接近戦だ。
勿論銃も使われるが、警官が携行している短銃なので連射や長距離射撃には不向き。
この非効率的な暴力描写がラストでは延々と続く。
元々物語としての善玉も悪玉もないので、一応は口頭での駆け引きはあるが、
いったん決裂すれば、目の前にいる相手を敵と判断して殺しまくるだけだ。本当に容赦がない。
「この世界、狂わなければ生き残れない」という宣伝文句は名言だ。
またカーチェイスの過剰な狂い方も見事。
昨今アメリカ映画に多い、カットを細かく割り過ぎて、相互の位置関係や競り合い具合すら
わからなくなっている紛い物ではなく、ガチで車をぶつけるのをひたすら長回ししている。
しかも豪雨の深夜の高速道路という二重三重に手の込んだ修羅場な舞台設定だ。

133分に渡り、一瞬たりとも気を抜けず、緊張状態が続く。
劇場の椅子に縛られ、身がこわばる感じだ。
最後には一片の救いも容赦もない怒涛の結末が付きつけられ、
もはやぐうの音も言えずにひれ伏すしかない超弩級の傑作だ。
こりゃ凄いもん観たわ。多分今年のベスト10には入るであろう。

偏愛度合★★★★★