今日は父親の命日。
この日になると同じことを想う。
去年書いた記事を参照。
上記の記事の通りだけど
いまだに同じ気持ちだ。
多分、死ぬ時までそうだと思う。
つまり、自死遺族にとっては
いつまでも「たられば」がつきまとい
後悔と自責の念が消えることはない。
自分たちは年を取っていくけど
自死した人の姿は死んだ当時のあの時のままだ。
(年月が経っていくと、思い返すと地味に↑こういうのも辛くなる)
父親が最後に親らしく教えてくれた事といえば
『自殺すると成仏できないって本当だよ』と
自ら枕元に立って教えてくれたこと。
お前は辛くても自殺するなよ俺みたいになるなよ、と。
父親の自死の原因のひとつに巨大な借金があったため
とっくの昔に実家も人の手に渡り。地元にあった
先祖代々のお墓も管理する人がいないまま、おそらく
無縁墳墓扱いで区画整理の際に改葬されてるかもしれない。
お墓がなくても・お墓の前に立たずとも故人の弔いはできる。
とりあえず今日は心の中で手を合わせました。