最近頭を抱えたことは?
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毎日です…と昔なら答えたが
いまでは(それがいいのか悪いのか)
そこまで深刻にならない。深刻になってもどうしようもないというか
意味がないので日常の瑣事で深く悩むのはそろそろ卒業したい。
ニヒリズムではなく、前向きな諦観とでもいいましょうか。
年を取ることの効能の一つとでもいいましょうか。
若い頃は何につけても過剰に反応して過剰に悩む傾向があるけど
(心の病で調子が悪い時は、今でもすぐこうなる)
今では大抵の事は「悩んでも大したことなく世間は動いている」、
「物理的な損害が出ないなら、悩んで煩悶するのは時間の無駄」と
年を重ねていく過程で経験的に知ってるので、
やはり「年を取る」という事はそう悪いことばかりではない
今日は「哲学の日」らしいが調べたらソクラテスの命日だから、らしい。
スタンプの絵はソクラテスか。カール・マルクスに見えた。
哲学の日って言われてもね。
昔実家に帰って本を読んでたら父親に「お、アカデミックな本読んでるなあ」と
いわれ「哲学に興味がある」と言ったら露骨に困った顔をして
「うーん、哲学かぁ…」と渋く言われた思い出がある。
中島義道氏も言ってるが、哲学なんてあえて手を出す必要ないです。
探求しても幸福にはなりません、という意見には賛成だ。
だからといって哲学が全く存在の意義すらないものだとはいえない。
それは古代ギリシャから連綿と続く哲学史(と哲学者達)を見ればわかる。
坂口安吾の『青春論』のなかに自分が気に入ってる文章があるので転載
魂の孤独を知れる者は幸福なるかな。そんな事がバイブルにでも書いてあったかな。
書いてあったかも知れぬ。けれども魂の孤独などは知らない方が幸福だと僕は思う
女房のカツレツを満足して食べ、安眠して、死んでしまう方がしあわせだ。
僕はこの夏新潟へ帰り、たくさんの愛すべき姪達と友達になって、
僕の小説を読ましてくれとせがまれた時には、ほんとに困った。
少なくとも僕は人の役に多少でも立ちたいために、小説を書いている。
けれどもそれは心に病ある人の催眠薬としてだけだ。
心に病なき人にとっては、ただ毒薬であるにすぎない。
僕は僕の姪たちが、僕の処方の催眠薬をかりなくとも満足に安眠できるような
僕は僕の姪たちが、僕の処方の催眠薬をかりなくとも満足に安眠できるような
平凡な、小さな幸福を希っているのだ。
アンダーラインを引いた部分、世間からみた哲学なんてこんなもんだと思いますけどね。
坂口安吾は太宰治追悼文の「不良少年とキリスト」でさらにダイレクトに
身もふたもない言い方で哲学を評してる。
寅さん風に「それを言っちゃあ、おしめぇよ」と苦笑いするしかない容赦の無さだ。
(青空文庫で無料公開されてます。)