さっき書いた記事の続き。読まなくていいです(なら記事にするな

朝の服薬を済ませてしばらくたったがなんか脳内がざわざわしてるので。

(レクサプロ、効いてねえじゃん)

泥酔した末の愚痴のような、酔っ払いがくだを巻くような、

太宰治の「如是我聞」の後半のごとき思いつくままを書き散らした妄言の連続です。

 

投稿してから気づいた、イヤーワームの参考リンクで

「ディラン効果」と呼ばれているから、ボブディランを選曲したんだろう

とか、そんなベタな連想を疑われてるような可能性が

無きにしも非ずなので(←妄想です)、ウケ狙いで

ボブディランのリンク張ったわけではなく、本当に「運命のひとひねり」が

脳内に流れたんです。

自分は何か感じたりするとすぐそれに関連する作品やら事象を引き合いに出す

虎の威を借るキツネ的な悪い傾向がある。自覚はある。

 

釈尊は法句経でこう言った、

ラムダスの「ビー・ヒア・ナウ」にこんな言葉がある、

ウィリアム・ブレイクの「天使」という詩の一節に…、

etc、etc。それでお前は何なのだ、と。何も無いじゃないか。

ボブ・ディランのLike a rolling stoneの一節、

「何にも無いって事は、何も失うものが無いのだから

あんたは今透明なんだ、あんたには隠さなきゃならない秘密も無い」

 

 

『重いうつになった後の朝によく起きる現象』で

ウィリアム・バロウズの「ジャンキー」という小説の中で似たような場面がある。

 

『四月のある朝。目が覚めると麻薬切れで少し気分が悪かったので

おれは寝たまま白い漆喰塗りの天井に映る影を見ていた。

すると、ずっと昔ベッドの中で母のそばで寝ながら外の通りから流れ込んでくる

灯りが、天井や壁の上を動くのを見守っていた時のことを思い出した。

列車の汽笛、街路の向こうから聞こえてくるピアノの旋律、燃える木の葉などの

記憶が鋭いノスタルジアとなって胸を刺した。

軽い麻薬切れになるといつもこの魔法のような少年時代の思い出が甦ってくる。』

 

自分のヘロイン中毒の体験をそのまま描いた作品の中にある一節だが

麻薬ではないが自分も精神科治療薬(脳に直接作用する薬)を飲んでるので

ちょっと嫌な気分だ。

 

今日は(今日も)一日部屋にいます。季節外れの暑い天気で

花粉も濃密に飛んでるらしいので。

引用まみれと言い訳で中身がないついでにもうひとつ

 

チャールズ・ブコウスキー「パルプ」から

『生きることは不条理だとかいうけれど、それだけじゃない。掛け値なしの重労働だ。
一生で何回下着を着るか、考えてみるがいい。げっそりしてくる。あほらしくなる。
地獄とは自分で作るものだ。
なんだか物思いに沈んできた。今日はもう何もしないことにしよう。
人生は人間をすり減らす。がりがりにすり減らす。明日はもうちょっとマシな日になるだろう。』