火曜日に病院に行って薬をもらったが

主治医に診てもらったわけではないので、再び通院。

よりによって久しぶりの東京に雨が降る日に通院か…。

まだ雨は降ってないけど・・・。

 

診察は終了、一応母の病状なんかも話しておいた。

母がクモ膜下で入院したことにより、自分のうつや統合失調症に

影響は見られないが、こういうのは医者に全て話しておくに越したことはない。

 

 

ーーーーーーーー<注:ここから先は不謹慎かつ生々しい話になります>ーーーーーーーー

 

母が明日にでも死んだら、自分(の病状)にどういう影響があるだろうか?

人体実験的な興味がある。

父親はもうだいぶ昔に亡くなってるが、自死だった。

それも、前の晩に自分と二人きりで外食したあと「ちょっと会社寄ってくる」といい

家の前で父と別れた。翌日会社の2階で父が縊死した状態で、という。

そこから先は、いろんな物事が怒涛のように押し寄せ悲しんでる暇すらなかった。

事実、涙は出なかったし『悲しい』という感情がなんか薄い膜にくるまれて

涙を出させなくしてるような、そんな感覚があった。

精神がエポケー状態になっていたんだろう。自殺は自然死や病死ではないので

警察の法検視がはいる。その検視から自宅に遺体が返ってきたときのミイラみたいに

全身包帯ぐるぐる巻きの父の姿も覚えてるし、分厚く死に化粧してもまだ誤魔化しきれない

うっ血して土気色した父の死に顔と喉の索条痕もいまだ覚えている。

父親が死んだときは、ちょうど初めての鬱が寛解して、その鬱が再発するちょうど中間期に死んだので

鬱の再発の原因にはなってるかと思う。

自分は母が死んでも(個人的信条で)葬儀には行かないつもりなので

化けて出るかもしれない。出ないかもしれない。今の病状に何らかの影響は及ぼすかもしれない。

ちなみに父親は半年ぐらい後に「出た」。

よく『自殺すると成仏できません』というがそれを身をもって教えてくれたわけだ。

『出た』時期と鬱の再発がちょうど一致する。2回目の鬱は重くて深刻だったが

その鬱の時期に父が再び『出た』ことはない。鬱が原因であまりにも脳内に

ドーパミンやセロトニンが枯渇してたので、脳が『出た』ことすら知覚できない状態だったのか。

 

…なんだろう、話が父のことに横滑って、何を話したいのか結論をどう結ぶのか(また)

わからなくなった。

父が自殺してどう思ったかについて終わる。

死ぬぐらいなら、家族も何もかも捨てて蒸発(失踪)してほしかった。

父親はお洒落な人でプライドが高かったから【失踪して生き延びる】のも嫌だったんだろう

(もしくは疲れ果てたんだろう)

でも失踪だったら、ふと空を見上げて「ああ、あの人自分の知らないどこかでなんか暮らしてんだろうなあ」

って想うぐらいのことはできる。そしてそれで充分慰めになる。

でも自殺だとそう想うことすらできない。

ただ、こんな目に(自死遺族)あってもなお自殺そのものを言下に全否定する気はない。

『生きる苦痛と死ぬ苦痛を秤にかけ、生きる苦痛が重い場合、人には自殺の権利がある』(ニーチェ)

という言葉があるとおり、自分の命なんだから最終的には自分が好きに扱うべきである。