前回挑戦して無事に発作が起きて玉砕したコミュニティバスへの乗車。

あまり混まない日曜日ならどうかなと懲りずに挑戦。

発作が起きる前に降りたってのもあるが

まぁ停留所2つ分は何とか乗れました。無事に。

でも車内ガラ空き状態だったんだけど、

これでも暴露療法になるのかな?

実際に「乗れた」という事実や実績の積み重ねで見れば

まぁ無意味ではないかもしれないが

達成感とか乗り越えた、とかいう感情は皆無だね。

 

『乗客が多いとき乗るとまた発作起きるんだろうなぁ』とか

『今日は無事だったけど次は発作起きるかもなあ』とか

余計なことばっか頭に思い浮かぶんだけど、

こういうのは認知療法でいうところの【認知の歪み】なので

”時々に勤めて払拭し  塵埃を惹かしむ莫れ”という禅語にならい

その都度打ち消していけばいいが、

(でも打ち消す手間が追っつかないぐらい心の底から

飽和攻撃でマイナス思考がわいてくるのが心の病の嫌なところだ)

 

当面の目標としては、乗る回数を徐々にでいいから増やす。

発作が起きてもめげない、ぐらいが目安かな。