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Studying Abroad

2014年まで米国アリゾナ州で留学しました。

明日から、1週間の春休みになります!!

毎年3月の真ん中の週はSpring Breakなんです♡

ちなみに

学期のシステムは学校によっても違うかもしれませんが
私の地区は、わかりやすく春夏秋冬の4学期に分かれていて
必須はFall semester と Spring semester の2期です。 
ただいまSpring
semester☆
ちょうど今日から2か月で今期が終わります♪

ど真ん中での休み、と~っても嬉しいですビックリマーク
今、一年でも最も気候のいいときなので(今日が大雨なのはおいといてw)
旅行に行くにもいいですしねドキドキ

それで、観光客だったり野球の関係で人が多く訪れる時期でもあり、
私は親戚を手伝ったり、勉強もしなきゃで遊んではいられないんですがあせる
でも、お休みはうれし~~~ぃ!!!

学校嫌いなんですよ、私。
アメリカの学校は疲れます!!
なんつって(笑)、ただのわがままですけどね。

でも、土地が無駄にあるから、いっぱい歩かなきゃいけないのは事実です。
私、小さいですし。
ブログのニックネームを考えたとき、私とくにあだ名とかこれまでなかったから
どーしようかなぁと思って、私が背が低いのをいいことに
いつも「ちび」とか「ミニ」とか言われたりしてることを思い出しつけたんです。
チビはヤだから、ミニな方で!w

春休みの前に、テストがあったりするんですけど、
今回は、今週よりももう一週早く山場が来ていました。

今週案外らくでした☆


ところで、あいかわらず無駄話だーだーで…(汗)
今回、行き着けのお店の事件のことで思い出したことがありました。

連休前に起きたってことで、休み中行けない残念…とは思いましたが

春休み前の木曜日といえば、

2年前、東日本大震災が起きたのもこの時でした。

日付は2日早いですが...あれは、こちらの木曜の夜でした。
だから休み前に金曜の1日学校があったので、

翌日学校に行くと、それはもう色んな国の友達から

「日本の家族は大丈夫!!?」ってものすごーーーい心配されました。

そのとき、ESLを取っていたので、クラスメートも自分たちの母国がそれぞれに有り
家族から遠く離れてる同じ境遇の方が多くて、気持ちをすごくわかってくれたんですね。

いまでこそ、日本も反日、反韓とかっていってますけど
クラスメートのどちらの国出身の方もみんなわざわざむこうから
私をみつけて聞きにきてくれたり、すごく温かかったです。

実際に、ものすごく多くの方たちが犠牲になられ、
本当にそれは悲しいことです…


運よく、私の実家は震源地からは離れていたので
実家に居た家族は、大丈夫だったのです。

でも、そのとき、私はクラスメートに心配をさせれないから言えなかったけれど
本当は家族全員の安否が確認できていない状況でした><

実はそのとき、たまたま、うちの両親は飛行機に乗っていたので
まず無事であろうことは確かだったんですが、居場所がわからなくなっていました…

両親は、ちょうどアリゾナに遊びに来ていて
木曜日に帰国で、朝空港に送って行きました。

昼前に搭乗し、それから成田に到着予定だった半日後より少し前に
私は
震災のニュースを耳にしました。

混乱していたから詳細がわからず、

着陸ができていないかもしれない、
でもとにかく連絡がつかなかったのです

金曜は本当に不安で仕方ない状況でした…とにかく学校には行けと
お尻をたたかれ(留学生は休める日数が限られているので)
こちらと日本のきょうだいで連絡を取り合いました。

夕方になって、きょうだいから両親の無事と現在地を伝えられたんですが、、

成田空港に着く予定だった両親…しかし、今、千歳空港に居る、と。

千歳ちとせ…えっと~頭の中で地図を浮かべて、
東京周辺にちとせってあったっけ?
...ではなく、北海道でした!!

成田に着く直前で震災が起き、緊急着陸したのが、まさかの北海道。

両親は可哀想でした。
というのも、あったかいアリゾナからまさかの最北地へ
半そでばかりしか持って居なくて、寒かったそうです(;_;)

毛布は貸してもらえたそうですけど…温度差が汗

ようやく消息がわかったころは、詳しいことも全然わからなかったんですが
後になって、他の日本に帰っていた方たちからも話をきいてわかったことが色々あって

他にもうちの親のように飛行機に乗っていた方もみえたんです。

その人は、成田から急慮変更で横須賀基地へ着陸したそうです。
まずは東京周辺へ順に着陸していき、両親の便はたまたま北海道でした。

そして、着陸後半日間飛行機内で待機、
ようやく半日後に降りれても寒くて、
そこからまたいつもどれるかわからないと空港待機。

半日くらい待ち成田便に乗ることができ、そこからさらに地元まで乗り換えたそうです

しかも、後になってわかったのが、
始めの緊急着陸は地元の空港の予定だったんだけど、
燃料切れしそうで、さらに変更になったって…千歳だって充分遠いじゃん!?

大変な思いをしてしまった2人でしたが、それでも命があっただけマシだ。
と文句一ついっていませんでした


あのときは、精神的に私も疲れました…両親のことはひとまず安心したけれど、
そのまま春休みに入り(運悪く、そこは親とはタイミング合わなかったんです)

休み中、震災のネットニュースから離れられなくなりました。

NHKの緊急特番を連日見て、暗い気持ちになり…それでも自分の国の状況が
気になって、気になって、、ついつい見てしまう

日本も当時、特番ばかりでその映像から身体への影響が出ている人もいたこと
問題になってましたが、私もその手前だったと思います…

心配した友人が気晴らしに遊びにつれていってくれたり、ご飯いったり…
助けてくれたことは今でも感謝しています。

時間が経って、語れることもある。
私の受けたショックなんて大したことないけど、

きっと被災者の方たちは今も心に傷をおってらっしゃるのですよね

私になにかできることないかなと、現地にボランティアに行くことは無理でも
こちらでも、赤十字だったり様々な募金だったり
、
チャリティイベントのための商品の提供、
アメリカの方たちの中でも日本を支援したい気持ちは強くて、
私も微力ながら協力させてもらったりしました。

これからでも、何かできることあればしていきたいです

ちょうど1年前、前の職場の関係で5日ほど日本に帰りましたが
弾丸すぎで…次の帰国はいつになるかな?

今のビザがあと2年残っています。
もし、その後に現地に行けたら、今よりさらに復興が進んでいるのかな?

私がどれだけいっても思っても、
やっぱり離れているから寂しいし
本人たちの辛さを考えたら計り知れませんね

日本は地震大国
そして今そこから離れている私は、
自分を安全な場に置いてることになりますが

それでも、ここに居る日本人も心のどこかで日本のことを想ってると思います

ここまで読んで頂けたら、ありがとうございました。