【なぜなぜ分析】もはやただの罰ゲーム | AQUOSアニキの言いたい放題

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なんか問題が起こるとなぜなぜをやる。なぜなぜで『自分達が悪かったです』と無理矢理結論づけて、新しいチェックシートやらチェック項目を作って自分達の対策をした『気になって』分析は終わる。自分達の首を締める側のほうしか結論が書けないから。真実を書いたら上司が握り潰すから。
どっかのユーメーな車メーカーさんがやってる有名な『なぜを5回繰り返せ』という手法ですが、真似してる企業はなんでこの手法を罰ゲームみたいな扱いでこれをやるのか。実際にやる人たちは罰ゲームみたいな感覚だろう。こんな感覚の下でまともな原因究明なんか出来るの?本場の車メーカーさんも実際はどうなのかわからないけど。
そもそもこれ、事の発端を起こした本人やグループがやるってどうなの?責任感やらなんやら余計なモノが入って原因究明なんか出来るの?第三者が調査して行うのが本当に真因に結び付くと思うんだけど。っていうか、結び付かない結果だとしたらそれは『見える化』の出来てない、別の問題のある部署ってことだろう。問題の原因を考えるなら第三者がやるほうが理に適ってると思うんだが。

んでだ、話を戻そう。
この『なぜなぜ分析』というシロモノがなぜ一般的に『罰ゲーム』みたいな扱いなのか。それは悪いことが起きた後についてくるのが慣例化してるから。んで上司が納得出来るものを出さないといけないからという意識が根強いからじゃないか?
ぶっちゃけ、目的や背景は分かるけど実践する側にそうした根本が理解されてるかってぇとされてない気がする。だって罰ゲームだし。誰だって罰ゲームみたいな意識持ってたら消極的なことしか書かないだろう。意識を取り除くための工夫が必要なんじゃないの?