おぐにあやこ氏は1966年大阪生まれ。元毎日新聞記者。夫の転勤を機に退社し、2007年夏より夫、小..........≪続きを読む≫
このニュースに記載されている内容は、アメリカの教育事情を書いたもので、日本とは直接は関係ありません。ありませんが、日本にも通じるところがあるなぁと思い、「テスト」について疑問に思っていたことを書いてみようと思います。
最初に書いておきますが、俺は学生に、「テストの結果なんて気にするな、遊べ遊べ」などという無責任なことを言うつもりはありません。
勉強をすることはとても大事なことだし、教科書だけでは得られないことだってたくさんあります。遊びを通じて得られるものだってあるでしょう。ただし、モノの考え方や、問題に取り組むにはどうすればいいか、物事に真摯に取り組む題材として学校の勉強ほど打ってつけなものはない。
だからテストなんてどうせ成績悪いんだからやらなくてもいいや、で諦めることは無い。
コツコツと積み上げることを覚えれば、「自分の知らないことを知る、分からないことが分かるようになる、解決出来なかった問題が解決できるようになる」ことの喜びを覚えることにつながります。だから勉強はとても大事なことなんです。
さて、さっきの話は直接関係ないのでここまでにして、記事を読んで感じたことを書くことにします。
俺が学生時代だった頃(大体10年前)の他の生徒も含めて、今現在、中学生や高校生のブログとかなうを読んで感じたのは、「テストのために勉強をする」と勘違いをしている学生が多い。
「将来何々になりたいから勉強をする」とか「どこどこの進路に行きたいから勉強をする」という目的意識を持って取り組む学生もいるし、目的を持たないで漠然と日々を送る生徒もいる。
勉強というモノそのもの自体に、目的意識の有り無しなどは関係ない。
だから「動機があるからいい」、「動機がないから駄目」などというつもりは無く、
どっちだってかまわないのだ。
そもそも、勉強をするという行為に、いちいちそんな看板を持ち上げてなければ出来ないということ自体がおかしいと思うのだが。
「知らないことを知る」、そういう欲求さえあれば勉強をする動機としては十分なんじゃないのか。
それと、もう1つ。テストで高得点を取ること=良い成績とみなされる風潮がおかしい。
マークシート式にしろ、記号問題にしろ、意味解釈もほとんどない丸暗記ありきの「勉強」になんの意味があるのか。
本当の意味で成績を見るなら、問題は全て論述問題でなければおかしい。
学校の勉強だけでは足らず、塾や通信教育で勉強する生徒、させる親。
なんかなぁ、「勉強好き」から言わせれば、アメリカでも日本でも、勉強に対する考え方がなんか違うんじゃないかと。