クリスマスが近くなってから
「くりぼっち」という言葉が
何度も頭を過ぎってきた。
本来のくりぼっちとは
意味内容が違うけど
「本当にくりぼっちなんだな」
ってジワってきた。
次女亡き今
例え長年行きたかったヨーロッパの
クリスマスマーケットであれど
行きたくない。
次女も連れて行きたかった。
次女にも見せてあげたかった。
そう思うだけである。
毎日次女目線の次女の人生と
私の人生が思い出され
胸が締め付けられる。
私は赤ちゃんの時の記憶から
断片的には持っていて
2歳頃からは短いストーリーで
覚えている。
言語の発達と
関係ありまくる感じで。
医学的には驚愕らしいけど
長女もそんな感じである。
私の子供時代のクリスマスは
ドケチな母のせいで変だ。
枕元におく靴下なんか
父の現役靴下で
サンタが来たって
安くて大きいお菓子(駄菓子の)とか
そんなのばかり
父の靴下にねじ込んであった。
欲しいものがやって来た事なんて
一度もない。
(当時は割と財力のある家だったが)
むしろ祖父母が
「好きなものを買いに
連れて行ってくれる日」
が私のサンタだった。
夫はサンタなんてしないし
クリスマスに酷いこともした年があった。
だから娘たちのサンタは私だった。
娘たちの個性は全く違った。
長女は
「サンタさんあのお店の包装紙と
同じの使ってるんだねー!」と
大喜びしていた。
回避するために
翌年からコッソリと包装紙まで
用意する羽目になりセルフラッピング。
次女はサンタクロースに
お手紙を書く子だった。
とても真面目で
気遣いと心のこもったお手紙すぎて
なんだか
自分の行いがサンタ詐欺に感じて
罪悪感が湧くサンタとなったのだった。
年末年始もありきで
余計に悲嘆が強くなる時期なのかも
しれない。
次女が若くして他界した
という事実が
あの日から不変の強いショック。
時々ショックという感情の中で
縮こまって生きている気がする。
昨日は朝まで眠れず
やっと少し眠れたのだが
寝直そうと思ったのに
私は大掃除を始めた。
なんだろうこの『習性』。
専業主婦ではなく
シンデレラのようだ。
からの
毒母の事を思い出して
身についた経緯がトラウマ。
利用された経緯がトラウマ。
私にとって
他界する行為の方が
心理的には容易だから
時々発作的にそういう想いに
かられると耐えるのがしんどい。
生きる方が辛い。
私が他界したら
長女に悲嘆反応を起こすのでは?
と自問自答して思いとどまる。
久々に抗うつ薬を出してみたが
思考が低下するだけで
心が穏やかになる訳ではない。
次女が亡くなった時に気がついた。
母はご遺体に
通常の人間とは違う興味を示す。
自分の孫であれど
故人に対して愛がない事が
示されたように
博物館でミイラでも見ているかの如くな
好奇心しかなかったし
何より
触れないで欲しかったところに
ただの好奇心で触れた行為が
私のトラウマになった。
人の心が育っていなすぎて
未だ顔も見たくない。
ーー
今夜は眠れますように。