「そこに愛はあるのか?」

次女が気に入っていた

フレーズです。

 

言い出したのは次女が先なのか

CMが先なのか

分からないのですが

 

当時、私は殆どテレビを見ていなかったので

気がついたらそういうCMがありました。

 

 

次女からその言葉を聞いて以来

ことあるごとに

「ホントそうだな」って

思って来ました。

 

 

「どこに愛があるのか」で考えても

意地悪な人には

自分にしか愛情がないよなと感じます。

 

そんな輩に

私が鉄壁な境界線を引けるまでには

まだまだ

意地悪な人への考察は必要だよなと

自分の中の曖昧な部分を感じます。

 

曖昧さは

育ちの段階から騙されて来た部分

でもあります。

 

 

夫のようなパワハラの

気質であり器質でありのような人は

夫だけではないと思います。

 

誰もそう思わないよね!?ってことを

「俺はそう思わない!」と言い退けたり

そんな傍若無人な心無いセリフが

何を意味するかと言えば

 

遠回しの命令。

 

そうなるようにしろ!ムカムカ

みたいな

自己愛が強すぎて怒りが湧く表れ。

 

 

世の中には、そういうことで

苦しんで亡くなられた方もいるのに

 

狡猾なずるさを持つタイプの

パワハラ男に対して

周囲から嫌われる以外

 

表立った罰がくだっていない

世の中に強い理不尽さも感じます。

 

 

元々私に似ていた次女も

夫から陰でパワハラも

受けていたのかもしれないと時々思います。

 

夫の次女への悲しみは

どこから来てるのか?と

時折考えてしまい頭が混乱します。

 

言動だけでお腹いっぱいな

パワハラ男の脳内などは

考えない方がいいんですけどね...

 

もしかしたら

ただのパフォーマンスかもしれません。

 

 

ハラスメント系の人って

勝手に決めつけている役割の位置

のようなものがあって

 

だからこそ哀しい事に

アダルトチルドレンが存在してしまいます。

 

そういう意味では

次女は搾取対象=俺への供給源で

あったことは間違いないと思います。

 

なんの供給源かは

人によって違うと思いますが

老後を考えると介護要員なんだと思います。

 

老後じゃないのに

怠けて生きていきたいくらいですから

そこはガチでしょう。

 

少なからず

生かさず殺さずみたいなところに

私と次女を置いて来た事を

私は一生、次女の分もで二倍許しません。

 

 

他者に愛があれば

反省はずっと続くでしょう。

 

自己愛ならば

途中でだるくなって

「もうヤバくないからいいや」と

やめるでしょう。

 

彼らにとって

反省はパフォーマンスに必要なだけ

自分を変える気がないから

長くても1年持たないんですよね。

 

 

そこまで自分にベタ惚れしてるなら

一人で生きていけばいいのに

思いますけど

 

脳内だけ王族なので

それを無償&無料で叶える相手が

必要なのでしょう。

 

ぼっちだと

脳内で妄想する王族レベルを

叶えられる可能性は

ゼロパーセントですものね。

 

滅多にキレない長女が

高校の頃、夫にキレて

「アンタは国王陛下か!ムキー」と

言った事があります。

 

夫はしれっとしてました。

 

聞こえた私が

深く頷いてしまってました。

 

 

あれから何も変わってない。

 

 

長女は言葉にするのが上手いなと

昔から思いますし

次女は大事なポイントを把握するのが

とても上手いです。

 

二人が其々社会人になって

歳月がすぎるのを

楽しみにしていました。

 

「姉とマカロンなう」とか

旅先から写真でも送ってくれたらと

勝手な妄想までして楽しみにしていました。

 

 

ハラスメント野郎は

アホといえばアホなんですけど

 

そんなアホっぽい夢を叶えるために

やらかすことは

ひとでなしそのものですから

 

周囲の人には

そんなシンプルな言葉では済まない

生き地獄でしかないと思います。

 

 

しかしながら

彼らが後期高齢者まで生きてれば

これからの時代を予測すると

 

昭和の残党みたいな古くさ頭では

孤立確定案件でしょうから

是非、健康で長生きして欲しいと思います。

 

 

例えば夫の場合

ぼっちだと

生活水準を自力でキープするのは

不可能に近い困難だと考えています。

 

「やりたいことだけやる」主義が

自滅要因で

収入と支出のバランスが

何もわかっていません。

 

(かつて上記で苦労しました)

 

 

ハラスメント中

「生贄じゃねーし真顔って

つぶやいてみたこともあります。

 

ほんの少し動揺してました。

 

 

色んな意味を込めて

意地悪群より先に

次女に会いに行く気しか湧いて来ません。

 

「憎まれっ子世に憚る」って

私圏内で言うと

今の後期高齢者世代にジワジワと

始まってる気がします。

 

意地悪な人の周囲の人の方が先に

ほんの少しずつ召されて行っています。

 

 

世に憚るというより

あの世からでさえ

お呼びじゃないのかもしれない

と思ったりします。

 

私は早く呼ばれたいですけど

無理かな...って

時々自信がなくなります。