一番初めに命について考えたのは、小学4年生の時だった。
テレビで肉牛を一瞬で感電死させる映像を見てしまった。
あまりのショックで、牛・豚・鶏を食べられなくなった。
でも、仏教でいうところの業を知った。
人間は他の命を頂き生きる存在であると。
お肉になって食べるために殺された命を、食べないのは、無駄に殺生したと言うことになる。
次の日から、頑張って食べることににした。
次に命を考えたのは、小学6年生。
発病して入院したこども病院。
小さい身体で精一杯頑張ってる子達。
生まれた時から10年以上年間入院している子達。
放射線治療や輸血で気分が悪かったり、免疫低下のせいで口内炎だらけになって食べられず、痩せ細っている子達。
小さい身体いっぱいの大きな傷があるのにまた手術を受けなければならない子達。
そして、そんな大変な思いをしたのに助からなかった命。
命に対する考え方が大きく変わった。
一番最近は、自分が死ぬという事を本当の意味で受け入れざるをえなくなった時。
その時は覚悟を決めたのだけど、覚悟に反して助かってしまったことに戸惑った。
そして苦しんだ。
苦しんで長い時間かけて180度変わったと言っていいと思う。
そのおかげで気づけたこと。
人のためと思ってやった時より、自分が楽しいと思えることをしてる時の方が、周りの人も楽しそうな私を見て喜んでくれる。
充実した2年と、なんとなく生きてる30年では、2年の方が命に向き合えてる。
命と向き合うって自分のためにすること。
傷ついた小さい頃の自分をなぐさめてあげるには、向き合って一つずつ理解して。
それが自分の命に対する答え。
そして、これからの命のガソリンになる。
うまく言えないけど、そう考えさせられる事があったの。
そしてそんな事をざーっと怒涛の如く考えた短い時間で出した結論。
生きるのって大変だけど、命って頑張るだけの価値があるのもなんだ。
ある赤ちゃんの手術キッカケで考え出した。
今日の私の命の定義。
毎日変わる定義に振り回される私の人生。
これはこれで良いと思ってる。
良くないと思うことも時々あるけど、そういう時は不幸になったように思えてしまうから、良いと思っているのが正解だと思うことにした。