U【スパで考えたこと、小さな気づき、楽しかったこと】

 

温泉で中からぶくぶく湧いてきてて

波を立てながら泡が

端にいる自分に流れてくる。

 

そこに手を伸ばすと

まるで流れてくる海の波に

海岸で手伸ばして触れているような

風景になる。

 

その風景を眺めたり

泡をすくって

手のひらで真珠みたいな水粒がしゅわっと

消えていくのを視界に焼き付けたり、

 

ただ無心で温泉の中央から

湧いているぶくぶくの波と

そこにいる人々を眺めるのが楽しい

 

最初は人の目とか気になってたけど

途中から人が少なくなったのもあって

どんどん自分の心に集中をして

自分に向き合えるようになっていく

感じを味わうのが楽しかった

 

•1人でラーメン入ってみたいなと

 思った

 

 今日勇気が出なくて

 深夜店の前をのぞいて立ち止まって

 男性がいっぱい座ってるのを見て

 諦めて帰ってきたことを

 少し後悔した

 

 値段も1000円以下でリーズナブルだし

 深夜のラーメンってぜったいおいしいだろうな

 って思ったから

 

 背徳感もあるし

 あったかい塩っけのあるスープをのみたい

 気分だったから

 

•サウナに行かなくても

 温泉だけでも大丈夫だと気づいた

 

 温泉とプールを行き来して

 3時間半ぼーっとしてるだけでも

 自分の未来どうしたいか

 そのために過去やってきたことは

 今どうなっているのか

 今何をしているのか何をすべきなのか

 そういうのを

 考えて心がスッキリしたから

 

 今日は自分の頭で

 言語化したんじゃなくて

 話し方教室の人が

 やってたやり方を使って言語化した

 

 モヤモヤを探して

 それを素直な感情に(ここ重要)

 当てはめる

 感情を感じた時の現実を

 言語化する

 

 現実だけを受けとる

 というやり方をした

 

 左脳で感じた感情を

 右脳で言語化しないと

 処理されないでいつまでも残る

 

 何かで強い感情がわくということは

 それだけ未処理の感情が溜まってきている

 ということがわかったから

 

•自分の考え方で自分のやり方で

自分の感情を処理するのも

楽しいけど

 

それだけではダメだとわかった

 

ずっと同じ考え方ややり方に

縛られていてもモヤモヤが消えない

ときがあるから

 

そういうふうに思ってる時に

話し方教室の人が

自分はこう対処してるってSNSで呟いてるのを

見て読んだり、

 

その人が本を読んで勉強をしたことを

知って、

 

実際に私がその呟いてた人の

やり方を真似して言語化したら

モヤモヤがとれたから

 

本や人のやり方を取り入れた方が

自分のモヤモヤを解決させられる場合が

あるしそれを頼っても良い。

自分のために。

っていうことに気づけて嬉しかった。

 

•土曜日の夜からいく時は

 19:00前に着くくらいにいけば

 晩御飯があるからって出ていく人が

 ちょうど出ていくタイミングだから

 スパでのびのびできるなと

 思った

 

 外の露天風呂では

 温泉が湧き出てくるザバーッて音で

 隣の人のしゃべり声が聞こえなくなる

 くらいの距離感を保てて

 自分に集中できたから。

 

•話し方教室の祭りは、

 欠席をしようとも一瞬思ったけど

 やっぱり行くべきだし行きたいなと思った

 

•自分は世界に対して卑屈になりすぎ

だということがわかった

 

 

•好きな異性とか好きなコミュニティとか

 刺激に接触した時に

 自分は幸せっていう感情が

 爆発をしてそれだけを

 頼りに生活しようとして

 

 それらがいないときでも

 私の心だけが幸せですって思うための

 ことに時間やお金を使わなくなってしまうと

 気づいた

 

 言語化もめんどくさがって

 しなくなってしまうと気づいた

 

 でもそんな状態でも

 自分の心が幸せでいられるために

 いろんなことを

 これまでと変わらずお金と時間を

 使っていきたいなと

 思った

 

 お金を使う時に

 そこに気持ちが入るから

 

 恋やコミュニティなどに

 夢中になってしまうと

 自分と向き合うのがどんどん

 雑になっていってしまう

 自分を見失って何を考えてるのか

 わからなくなってしまう

 自分が遠くにいってしまう

 と気づいたから

 

•なぜ刺激を刺激だと思ってしまうのかというと、

 Yさん(片思いした異性)だったら、

 バスケ部のキャプテンでコミュニケーション力や頭脳や運動神経の良さがあっていろんな人から頼りにされたり逆に自分が誰かを頼ったりということができるような人が

 

教室の隅でぼっちでいる自分みたいな女に

「力になりたい」って伝えるということは

今後の人生でもう一生ないと思ったから

 

↑言語化してる途中で

 この考え方はおかしいなと思った

 

 だってライブ配信では

 私が3年前から配信をし始めてから

 離れていった人がほとんどいないから

 

みんな来続けてくれているから

 

その人たちは私の素の声を聞いて

私の話を聞くことを求めて

来てくれているし長話にも

付き合ってくれるから

 

 

ただの感情で

もうYさんみたいな

自分にはないものをいっぱい

持っている人が

力になりたいって思ってくれる人はいないし

自分の話を最後まで遮らずに

聞いてくれる人はもういないって

自分の中で決めつけていただけ

だと気づいた

 

そんな悲しいこと言わないで!!!!!

 

少なくとも冗談を飛ばしあったりしないし

視聴者さんにストレスをぶつけたり

することもしない私には

自分の私生活の数時間を捨ててでも

手を動かしてコメントをしたいって

思ってくれる人がいるのだから

 

 

•顔を出せるコミュニティが増えたとしても

自分のために使う時間やお金を

減らしすぎてはいけないと気づいた

 

自分を見失うから

 

そして関係性が進むことを

求めすぎてはいけない

 

結局

 

•祭りを休むかどうか

 午前中に休もうと思って

 コメントを入力して送信を

 押す手前までいったけど

 即決しなくてよかったと気づいた

 

 結局風呂で1人で3時間30分

 風に揺られながら雨にも

 うたれながら

 脚だけ浸からせたり

 全身つかったりしながら

 ゆっくり自分と会話をしたら

 参加したいってことだったから

 

•最近までなんで人が私の

 配信に来てくれるのかを

 考えたことがなかったんだと

 気づいた

 

 みんな私の話を聞きたくてきてる

 興味がある

 その気持ちを見ようともしていなかったと

 気づいた

 

 視聴者さんたちに

 私は空気が読めないっていう話をして

 そもそも空気って何だろうっていう

 話をしてたら

 

 Vtuberの配信に来る人は

 みんなあなたの話が聞きたくて

 来ている人だからあなたが

 何かを言って聞いてる人が

 不快になる可能性は限りなく

 低いと思ったから

 

 視聴者さんがそういうコメントを

 してくれたから

 

•なんで話し方教室のイベントに

 参加をすることを辞めようとしていた

 かというと自分が自分に期待を

 かけすぎてしまっていてつらいから

 だとわかった

 

 発展を期待してしまう。

 距離が近くなりすぎてしまう。

 会話の持つ力を信じすぎる。 

 

 でも本当は、

 参加したいんだなって

 思っている気持に気づけて嬉しかった

 

 上記のやつらがなくなれば行きたいか? 

 という自問にはいきたい!!って自答してたから。

 

 たぶんほかにこんなに良い人が集まるばかりの

 コミュニティはない。(私に興味を持って質問を聞いてくれるという意味で良い人)

 

 そういう風にコミュニティを

 希少価値が高いと自分で判断をしている。

 

 自分の話を最後まで聞いてくれる人がいる

 ということも特別視してしまっている。

 とわかった。

 

 話を聞いてもらえることや

 力になりたいと思ってもらえることを

 特別なこと、刺激だって思うと

 それが最高の快楽だと思ってしまい、

 他人に期待をして、他人に求められることしか

 考えられなくなるし、

 

 人であればその他人に、

 コミュニティであればそのコミュニティに

 依存をしている状態に

 その体験を特別視してしまうと

 なってしまうから。

 

 思考が停止して楽だけど、、

 自分を見失わないように自分を追うことは

 めんどくさい。

 刺激のある生活のたびに  

 自分を見失うのはもうごめんだよと思う。

 

 友達関係に発展をするはず!

 させなければならない!っていう

 気持になってしまう。。

 

 周りも不安や怒りや悲しみや寂しさとか

 緊張とかいろんな気持ちを感じているけど、

 みんなそれぞれその度が違うし

 私共依存の傾向がかなり強いから、

 

 自分の期待値が高いまま

 人に接して相手の反応が薄いことが多いと思う

 思ったような反応が帰ってこないときが

 あると思う

 そんなときに、自分が自分を責めることになるから

 

 あえてもうそこにいるくらいな感じで

 期待値を下げておくのが良いと

 気づけて嬉しかった

 

 そもそも会話って

 相手がありきだから。

 

 空気は読んで、

 読みすぎないで、

 自分を出さないときも

 逆に少ししゃべるときもあるけど

 何回も会って少しずつ

 自分を知っていってもらえればいい。

 一気に全部知ってもらおうとしなくていい。

 

 

 

 

 

 

•私は世界に悲観的になりすぎだと

わかった

 

もう今後一切

自分の話を

最後まで遮らずに聞いてくれる人も

自分に興味を持って質問をしてくれる

人もいないって思っちゃってたから

 

世界に対して卑屈になって

こういう見方をしちゃうのを

辞めたいと思った

 

やめるためには少しずつ

自分のコンプレックスを分析して

向き合って解消していくこと

が自分にできることだと思った

 

例えば

仕事については一年働いて

自分の社会適応力的なところの

コンプレックスは少し減ったように

感じるけど友達とかがいないことに

対するコンプレックスは減ってない

ように感じる

 

仕事のコンプレックスに向き合えたのは

自分が仕事をやろうと踏み出したから

 

そしたら世界に対して

拒絶されているような

全員から見下されているような

感覚が減って、、

穏やかな見方ができるようになった

 

今まで自分は素直に

コンプレックスがあることを

見ることができなかったけど、

 

家を出て3年間

コンプレックスをつぶすために

ほかの部分を膨らませて

自分を大きく見せるというやり方を

自分にしてきたけど、

それじゃだめだとわかった。

 

結局向き合って解消していかないと。

 

だからこうやって話し方教室の

集まりに参加をすることで、

自分がどのコミュニティにも所属していない

コミュ力がない

友達がいない

大人数の集まりでどっか海とかに行ったことない(今年の8月までは)

そういうコミュニケーション面に

向き合って1つずつ解消をしていきたいと思った。

 

 

実際に話し方教室の人と海に行ってからは、

自分は集団で誰かと海に行けるしそれなりに楽しめるし誘ってもらえる

コミュ力があると思えて、誰かと海に行ったことないっていう

大人数じゃ楽しめないという

コンプレックスを小さくすることができた

 

だからまずは祭りにに出てみようと思った。

 

 

•1人暮らしをしてからの自分は

自分のコンプレックスと

向き合って一つ一つを解消していく

という作業をしているんだと

気づいた

 

・Yさんに、

振られた理由を聞いたときに、

TPOとか仕事のやり方は

確かにそれは大事かもなあ

Yさんの考えは正しいかもなあと思ったところあるけど

あまりそれ以外に指摘してきたことを

取り入れなくて良いとわかった。

 

yさんは自分のことが嫌いとか

これから友達を続けていけないとか

そういう気持ちでは言っていないから。

 

今の私を見て、

友達止めたいと思ったわけではない。

 

ただ恋愛として恋人として

一緒にいるってことを

想像したときには、

ちょっと嫌だなって思う部分が

あっただけ。

 

つまりちゃんとしなきゃYさんに言われたことはやらなきゃって

思っているけど、

私が彼を好きになって告白をして、

私がかれに振られた理由を聞いて、

友達関係は続けられるけど

恋愛関係にはなれない理由を

聞かれたからしゃべったことだったと

気づけて嬉しかった。

 

彼が自分から文句をいきなり

いってきたわけではなかったから。

 

自分に力になりたいと

いってくれる人がいるのは

特別なことではないと

配信アプリでわかったから

 

•コンプレックスは

 そこから目を背けて自分を

 大きく見せようとするために

 別の経験をつんだとしても

 消えるものではないとわかった

 

 ただ、ゲストハウスに住んだことのある

 北海道にも住んだことのある

 メイドカフェで働いたことのある 

 スカイダイビングをしたことのある

 せなこになっただけ。

 

 

 

•大人数の前で

 自分の話を聞いて欲しくなった時に

 自分からアピールをする方法を

 知りたいなと思った

 

 「ちょっと私の話を聞いてほしい!」

 って大人数の前でいきなり言うと

 自分に一気に注目がいくから

 プレッシャーを感じるから

 それに慣れていないから

 そして期待値も上がるから

 

 もう少しみんなの期待値が

 上がらないような形で

 でもじぶんのはなしもきいて

 もらえるように

 

 自分をアピールしたいと思った。

 

•私は1年前にYさんに振られて

 プライドが傷ついたんだなと

 思った

 

 「Yさんといると幸せになれる

 と思った、だから東京に来た」

 っていう好意がないと言わない台詞を

 言ったり、

 

 抱きついて甘えたりして、

 自分はこの人しかいない、

 この人以外何もいらない、

 この人といれば幸せっていう

 恋愛の気持ちで接していたけど、

 相手はそうじゃなかった。

 

 自分は好きで好きな態度を見せて

 いたのに、

 相手はそうじゃなかったから

 プライドが傷ついた

 

•Yさんに言われたことを聞いて

 もうYさんに言われたことを守って

 ちゃんとやらないと、

 自分は力になりたいって

 思われることはないんだろうなって

 思ってることに気づいた

 

 2週間前に出会った人から力になりたいって

 思ってもらえることが

 奇跡みたいな特別なことだと

 思ってしまっているから

 

 話し方教室の人が最後まで自分の話を

 遮らずに共感して聞いてくれるのもそう。

 特別なこと。

 

 でも実際はそれって当たり前というか

 結構よくあること。

 

 配信では自分が無条件に受け入れられている。

 

 だから自分はVtuberでいるときのような

 余裕が欲しいなと思った。

 

 どんな気持ちを出しても大丈夫って

 気持を持っていたり、

 いますぐに全部を知ってもらおうとして

 全部を出さなくても大丈夫だって 

 思ったり。

 

 あとは、大人数でいるときに

 自分が無言の時間がたくさんあっても

 気にしない。

 

 無理してしゃべろうとしない。

 思ってもないこと言おうとしない。

 

 でも自分に話を振られた時は

 いつでも答えられるようにしておく。

 

 そして大人数の誰かからの1つの質問にだけ答えて

 私のターンが終わりになる可能性も 

 あると知っておく。

 

 そしてほかにも踏み込んだ質問とかが

 あれば自分の話をうわーーってするみたいな

 感じにしたいと思った。

 

 配信のまんまの私を出すとしゃべりすぎる。

 6月にバーに話し方教室の人たちと

 一緒に行ったとき、集まって興奮した。

 

 その感覚だけでも味わえたら

 良いかなと思うから、

 この6月にやってたやり方で

 会話をしたいなと思った。

 

•1年前も自分を出そうとしていたけど

 1年前と違うところは、

 目の前の相手に好意を持たれるため

 じゃなくて

 

 自分のことを知ってほしいから

 自分の気持ちを出したいから

 発したいから

 そういう気持ちで自分のために

 出そうとしているから、

 

 心持が変わってきていると

 気づけて嬉しかった。

 

 

 

•来週話し方教室で祭りを見る時は

 その出し物のどれがよかったのか

 というのを自分の好きを分析して

 言語化して伝える必要があるとわかった

 

 ただ、その好きを分析するというのも

 伝えた誰かに気に入られるためとかじゃなくて

 自分のために、小さな好きに気づいてそれを

 感じるということをしたいと思った

 

•私はいじめられた内容が

 男子たちに「あの女は(恋愛的に)ないよね」

 っていうノリをされてたから、

 暗に自分の人間性や見た目の全てを

 否定されたように

 思ったんだとわかった

 

 それで自分が変な人なんだなって

 思うようになったんだなと

 いうことがわかった

 

・自分は実は感情を

 現実世界の人間に

 ぶちまけるのは初めて

 挑戦することだと

 気づいた

 

 ネットの世界の人間じゃなくて、

 誰かに好かれるためじゃなくて、

 自分が言いたいから言う。

 

 自分の感情をそのまま出すっていうのは

 今まで実は1回もやったことがない

 ことだったと気づいた

 

 それくらい自分のコンプレックスと

 向き合うのに時間がかかった

 

 でも3年で見つけられて良かったなと思った

 コンプレックスと向き合う方向性も

 決まってよかったなと思う

 

 容姿も少し垢抜けメイクで自信を持てるように

 なったからその調子で色々

 挑戦してコンプレックスと向き合っていきたい

 と思った

 

•でもいじめのきっかけは

 自分が冗談を間に受けること

 だと思った

 

 いじめられているうちに

 そのきっかけとかいじめの理由

 とかがわからなくなってしまった

 

 もう勝手に自分が常に変だから

 いじめられるんだなと思い込んでいたから

 自分は変な人だと思って

 常に周りの目を気にしてたんだと

 わかった

 

 

•わたしは何でもかんでも

 いじめられたことのせいにして 

 ずっと世界を悲観的に見ているんだと

 気づいた

 

 例えば顔

 これはいじめられたせいだけじゃない

 単純に自信がないのかも

 いじめられたから顔に自信がないというのは

 いじめに結び付けすぎかも

 

 あとは

 もう自分を受け入れてくれる人は

 いないって思うこととかも。

 

 最近映画を見るようになったけど

 映画の主人公たちはそんなふうに

 ぐずついていない

 

 同じことで悩み続ける私は

 悲劇のヒロインになるのが

 得意な性質があるんだなあと思った

 

•海外に行きたいのは

コンプレックスを埋めたいから

というだけじゃないと気づいた

 

海外に行くとかいろんな挑戦を

するのは自分が、

人に馴染めない

友達いない

いろんな経験がない

というコンプレックスを埋めたい

という気持ちで最初はやってた

 

でも今は違う。

そうやって自分が興味を引くことに

挑戦をしたという体験自体が

自分のアイデンティティの1部になっている。

 

し、新しいことに挑戦すること

新しい舞台に行くこと自体にも

わくわくしているとわかった。

 

海外は現実逃避って

短絡的な思考で考えていたけど、

それだけではなく

挑戦をしたいという気持ちも

同時に存在していると気づけて嬉しかった

 

最近まではずっと現実逃避としか

思っていなかったから