本日退院しました! 


私は生後10ヶ月検診の時に

足の不具合を指摘され

都内大学病院で7回にわたり手術をしました。


先天性股関節脱臼でした。


幼少期の記憶としては

手術室に連れて行かれるシーン

足がかゆくて泣いているシーン


これからギブスに刃物をいれて

切る恐ろしシーン


隣のおじさんが作るインスタントラーメンの匂いが美味しそうで

食べたくて泣いているシーン


ラーメンが食べたいのに言葉が言えず

泣いていたら母が抱っこしてくれて、


「ちがうんだよー!」ってまた泣いているシーン


部屋の間取り、仕切りカーテンの模様、

手術室で暴れてガラスが割れる音、


こんな幼少期を過ごしました。



親戚の集まる場面では

「ああ、足の悪い子ね?」と言われ

母の深く傷つく姿は見たくなかったな…



母が大変な思いをして治してくれた足だから

一生これで生きると決めていました。



二十歳頃にもう一度、手術すると聞いていたのでその頃、病院に行くと


「まだ自分の足で動けるならばそのほうがいいよ」と言われ、内心ホッとしたり。


お産の時には分娩台で足が開けず

出産と同時に股関節が外れて歩けくなるとまで言われ…

(でも足が付いてた🤭)



小中学生の頃、体育はブルマーだったので

ホットドッグのような傷口が丸見えで

下級生からも陰口を言われたり

男子生徒にカビ女とあだ名をつけられたりしました。


プールは小学校1年生の時、

1回しか入っていません。


何かと理由をつけてプールに入らず…


中学生になると単位が絡んでくるので、

「プールの水に触るとかゆくなる」

(入ったのは小1の一度きりなのに🤣)と嘘をつき皮膚科に連れて行ってもらい

塩素アレルギーと言う診断書をもらい単位を免除しました。


自分では、びっこを引いて歩いている感覚はないのに初対面の人には


「疲れてるの?」

「足ケガしたの?」

「少し座っていいよ? 」


と言われたりしました。

この気遣いって結構傷つきますよね…


痛いけどスキーもやった。

痛いけどオートバイの免許も取った。

痛いけどサーキットを走った。


乗り物では絶対に負けたくなかった。


母になり、

私のびっこを引く姿に


「私って足が悪いんだよ〜」


陰口も偏見もなく

本当に仲良く過ごした。


今でも付き合いがあるほど。


優しいママ友たちだった。


ずっと立ち仕事で10時間は当たり前だった20年の歯科時代。


介護職員になり

グループホーム、特別養護老人ホーム、

デイサービス、

訪問介護ステーションでは

サービス提供責任者となった。


この足がんばった!

ありがとう!お母さん!


手術に踏み切ったのは

しっかり歩く姿を母に見せたい!と強く思ったのがきっかけです。


それが本当の親孝行だと思ったから。


痛い足を引きずりながら生きるなんて

「こんなに可哀想な私…」を

見せつけて生きるなど

親不孝だと思ったのです。


もちろん自分だってあと半分の人生を

活動的に生きたいし

なんでもチャレンジしたいと思ったから。



検索すると人工股関節の方はアスリートやボディビルまでいらっしゃいます。


私が大ファンなのは

宮田みゆきさん。


凄いボディビルダーなのです。

宮田みゆきさんは

Yahooニュースでも取り上げられています。

ぜひググってインスタも見てみてください!

驚愕の世界ですよ♡


みゆきさんにはたくさん勇気をいただきました。

直接メッセージもいただきました。

励ましと勇気を与えてくださいました。


本当に背中をドンと押してくださった方です。


私がみゆきさんと出会わなければ

手術など先送りしていたはずです。


みゆきさん、ありがとうございます!



歩けるどころか走れる!

痛みのない薔薇色の世界!



生まれ変わった景色は

可能性だらけです。



もし迷っているならば

迷う時間がもったいないです。



年齢が1才上がれば

退院までの期間は少し伸びます。



そのままではもったいないですおねがい

あくまで私の考え方ですけどね。



私も恐怖だらけでした。

不安もたくさんありました。


でも今は思い出に変わりました。


あとは良くなるだけ。

良くなり続けるだけです。


可能性だらけの未来です。



このブログを読み

少しでも未来への勇気が出ましたら

幸いです。


読んでいただき

ありがとうございました!


ではまた!おねがい