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こんな気持ちになったのは初めてかもしれません。
人にどう思われようがどうでもいいという一般的なことは当たり前、
「部屋の掃除をしないと運気が落ちる!」とか、
「今月はお金がこんだけしかないから贅沢できない」とか、
「早く寝ないと肌が荒れる」とか。
今、体力が落ちているのか喉が痛いんですが、
それすらもどうでもいい。
ええ、ここに至るまで色々ありました。
前回の投稿から少し空いているこの間、
仕事がつまらないのと、夢を追いたいんだという思いから、
闘志を燃やし、
懸命に転職活動しました。
正確には、履歴書と職務経歴書を3年ぶりに書き上げることに手こずった、ということです。
やりたい仕事だった。
ハードルは高い、でもチャレンジしないと何も始まらない。
久しぶりに本気を出してみたんです(←いつも何してる)。
面接会場まで電車に揺られ片道2時間、
結果待ちまで1週間超、
ワクワク待ったその結果、
不採用。
完全に心が折れてしまいました。
というか、
自分の本当の気持ちだと思っていたことが、
実はそうではなかったんです。
本当の自分に戻りましょう~とか
自分の気持ちに正直に生きる~とか、
いろんな情報を得て「なるほど。」と
分かったつもりだった。
そんなすぐに気が付けるわけがなかった。
腑に落ちてなかったとはこのこと。
不採用になって初めて気づきました。
自分の本当の気持ちを勘違いしていたんだと。
無理して違う方向で頑張ったことで、
不採用になったことよりも勘違いしていたことの方がショックだった。
なので、どっと疲れた。。。
実は、その仕事をすることで承認欲求を得たいだけなのかもしれないと気づいたんです。
ちゃんと自分の内面と対話できていなかった。
ショック療法ですね、
もう、今持っている自分の「物」「気持ち」「経験」「願望」諸々、
自分が思う良いことも悪いことも、
全て手放してからだ!と教えられたような感じです。
自分の性格は元々完璧主義、責任感も強く、他人に迷惑をかけまいと気遣い、
真面目におとなしく自己主張もせず我慢は当たり前だと思ってきた。
もう、そんな自分は通用しなくなってきてしまいました(自分比)。
人生が息苦しい。
だから、今通用しない以前のルールの時代に得た知識も
今となっては、「いい思い出」ではあるけど、
「使えるフレッシュな知識ではない」
ということが往々にしてあるわけです。
情報が多い時代に、たくさんインプットしすぎて、
自分に必要な情報にアクセスするのが困難になっていました。
今までと違うことをしないと、
今のままの人生になってしまう。
だから。
もういいんです。
どうでも。
全てをリセット。
そして、今やりたいことだけをやる。
食べたいものだけを食べる。
掃除はやりたくなったらやればいい。
誰かに迷惑をかけたら謝って、次からしなければいい。
ストレスフリーでいられれば肌は荒れないし、
喉が痛くても一生痛いわけでもないし(←なんて考え方)。
未来や過去はどうでもいい。
色々と気にして気にして気にして気にして気にして、
何を目指してたんでしょうね、自分を見失いすぎ。なんとでもなる。
だいぶ自分の心が遠く地下へ行ってました。
そして今、
化石が発見されました(笑)
なんか特殊な”筆”で、
その化石についた砂埃を丁寧に払っているところです(笑)
どん底まで落ちることでしか気づけないのは苦しいですが、
確実に何かが目に見えて変わることは間違いない。
変に賢くならずに、
ちょっとしたきっかけで素直に気づけるようになりたい(苦)
そして、
根底に昔からあるけど、どこか新しくて懐かしい。
そんな自分発掘の旅は続きます。
どうでもいいという旅、
つまりは、全てを受け入れるという旅、
もうしばらく。
(疲れて眠いのに勢いで書いてしまった。「早く寝なさい」ってね、腫れあがった喉が申しております)
いちご大福を買いに行くのをドタキャンして先輩を怒らしてしまった事件。
意外にもいい方向にころんだんです。。。(笑)
仲のいい先輩だっただけに、本当は嫌われたくなかったんです。
今住んでいる所と産まれた場所は遠く離れているのに、
お互い同じだったり、
笑いのツボが同じだったり(笑)←大事
感覚的なものが無意識に似ていたりすると、
話をしていてもなんだか心地いいですよね。
だから、きっと相手も私のことを慕ってくれていたのかもしれません。
今回はいいきっかけでした。
次の日ドキドキしながら出勤したものの、
逆に向こうも気にして明るく話しかけてくれました。
ほかの先輩によると、激おこ先輩のただの勘違いだったようです(笑)
そして前よりも仲良くなった気がします(笑)
なんでしょうね、
ぶつかって離れていく人もいれば、
それをきっかけにさらに深く仲良くなれる人もいる。
人間関係って本当にわからないなぁと。
でも一つ言えることは、
ぶつかってもその後すぐ仲良くなる人っていうのは、
今の自分には必要な人なんでしょう。
大事にしていきたいなぁと思います。
今日、職場の人といちご大福を買いに行こうという予定だったんです。
有名なお店だそうで、以前いただいたら凄く美味しくて。
でも、ちょっと遠い。車で1時間半くらい。
昔はなんてことなかった距離なんですけど、最近車酔いが激しくて40分くらいが限界なんです。
それに、今回は職場の先輩方4人と一緒ということで、
途中で休憩を挟むよ~とは言ってくれていたものの、
もし酔ってしまったら迷惑になる。
そう思って、行くことにOKはしていたものの、内心は少し不安だったんです。
でも楽しみに、昨日の夜に連絡を待っていました。
誘ってくれた人は前日にいつも「〇時に迎えに行くね~」と言ってくれるからです。
そして、昨夜連絡が来ました。
お、何時に出発なんだろなーと思いきや、
「明日どうするのー?」
という予想外な疑問文。
{・・・え、どうするって、行くって言ってあるけど・・・どういうことなんだろう。
もしかして私に気を使って行けないならいいよってことかな?}
私は「〇時に迎えに行くよ!」を待っていたので、一瞬の迷いから、
(酔って迷惑をかけない保証はないし、どうするって聞いてくれるってことは今回は止めておけってことかもな)
・・・と、ふと頭に浮かんだ直感で、
直前で悪いなと思いながらも行くことをキャンセルすることにしました。
そしたら、
「え!?行かないの?!行かないならもっと早く言ってほしかったのに!!」
と、激おこな返事が来てしまいました。
「何も言ってこないからどうなのかわからないじゃない!」
・・・って言われましたが、散々話したしいつも連絡くれるじゃないですか・・・
・・・・Oh、、、 なんてこった。
いつもと違う流れだ。
でもまぁ当たり前です、
よく考えなくても、ドタキャンで悪いのは私なんです。
いつも受け身でいた分、そしてこう言ってくれると予想していた分、
相手の意志がわからず、
とっさの判断をミスったのかなとは思いました。
でも、結構楽しみにしていたのに、
自分でもキャンセルする判断をしたことがなぜなのかわからないんです。
なんでなんだろう。
今でも不思議なんです・・・
あの心の判断はどこから来たんだろう・・・
でも結局先輩4人に私ですから、
気を使って疲れ切って帰ってくるのは目に見えていたし、
明日も朝早いし今日は家でゆっくりしたかったし、
どのみちこれでよかったんだろうなという感じはあります。
いちご大福食べたかったけど(笑)
この2019年の今は時代の転換期ということをよく耳にします。
自分の感覚とか直感を信じるっていうのがいいらしいことはわかります。
先週もそんなことがありました。
今まで飲み会に誘われていたけど、会うとどうしてもモヤモヤ(この人とは合わないなぁっていう感じ)してしまう人がいて、
その人には会いたくないけど、まぁ他の人が面白いしいいかと思っていました。
でも正確には無意識にその人を意識し我慢していたんでしょう、
またモヤモヤする違う人を増やしてしまい、あろうことか
その人に罵声を浴びせられるというレアな打撃を受けてしまいました(苦笑)
なんとなくこれは違うなっていう感覚を信じて飲み会に参加しなければ、
もしかしたら避けれたトラブルかもしれなかった。
結果論ですしなんとも言えませんけど、
無理しちゃいけないなぁ~と改めて思いました。
学ぶ気づきはありました。
無駄に飲み代に費やしていたり、
それこそ時間の使い方、お金の使い方、友人との付き合い方、
はたまた自分の気持ちを優先する大切さなどなど。
いちご大福を買いに行くことのトラブルから、
なんだかすごい課題をもらった気がします(笑)
いつもなんだかんだで「受け身」で生きてきたんだなぁと思いました。
誘われて決断する、返事を待つ。
誘われて幸せだし楽だと思ってたけど、それは自分の意志とは違ったのかも。
それでもいいという自分ではなかったんでしょうね、
きっと私の本心では自分のこだわりがあった。
人生の流れに逆らわないように流れるように生きることと、
常に受け身で生きることとは、
もしかしたら言葉の意味が違うのかな、
そんな気がしました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
明日、出勤したら激おこの先輩がいるはずなのですが、
ちょっとドキドキしながら(笑)、
まぁ今後一緒に出掛けることがなくてもそれはそれだな、
なーんて。
昨日受けた「あ、もう誘われなくて嫌われたかも」っていうショックから、
この文章を書きながら落ち着いてきたような。
そんな感じです。
先日、友達のおばあちゃんが亡くなりました。
私も故人と縁があり、通夜にうかがったのですが、
友達と友達の母親は仲が悪く、中々のピリピリ具合でした。
なんでも、幼少期から家庭が複雑で、
それでも昔からおばあちゃんだけは何があっても友達の味方だったんです。
あるとき、友達自身も離婚して実家に帰ろうかとおばあちゃんに相談したそうです。
おばあちゃんはもちろん歓迎してくれました。
でも母親はNOだった。
母親の3人目のパートナーの男性が友達と合わなかったんです。
「自分とその男か、どっちか選べ!」
と、友達が訪ねた実家の玄関先で口論になったそうですが、
母親は、玄関の扉の内側から「カチャリ」と鍵をかけてしまった。
実子が「負けた」瞬間でした。
それからというもの、
友達にとっておばあちゃんだけが心の拠り所でした。
おばあちゃんも友達に会いに来ようとしていましたが、体調がすぐれず中々実現しなかった。
そして、そんなおばあちゃんが旅立ってしまった。
神様がいるならば、
なぜこうならなきゃいけなかったのか、
本当に教えてほしいと思いました。
人生というものは、なぜここまで残酷なのかと。
私も、両親と不仲な時期がありました。
愛されていないと思って本当につらかったです。
肉親だけど一番遠い存在。当時は両親の気持ちなんか分かるはずもなかった。
でも、実家を離れて一人暮らしをするようになって変わりました。
母親も、私の年齢と同じだけ母親として生きてきて、
今日という日も母親としての新しい一日で、
母親としてはベテランではないんだと気づいたんです。
不仲だった当時の母親の年齢近くに今自分がなりましたが、
この年でよくこんなわがままな娘と向きあってたなって、
自分じゃ無理だなと未だに思います。
だから、世の中のお母さんたちも、
何があったとしても、
一瞬判断を間違ったとしても、
年齢は上でも母親としては未熟な時があって、
それでもおなかを痛めて産んだ我が子に
愛情がないなんてことは決してないんだと、
私はそう信じています。
絡まった糸は、無理にほどこうとしてもまた絡まるだけだと思うし、
ほどく必要もないのかもしれないけれど、
人間の本能として、親子というのはどこかで「愛」のつながりがあって、
お互いがそれを無意識に求めているんじゃないかなと思います。
「愛」というものは、とても深い。
そしてとてもあたたかいものだと信じたい。
私の友達にも、そして世の中のみんなにも、
そんな「愛」の無条件のやさしさが、
振り返ればいつでもそっと佇んでいて、
ずっとずっとそばにあることを願っています。
「自分を許す」ってことは、今までとても難しかったです。
「ありのままで」なんて一時期歌も流行りましたけど、
本当の意味でありのままでいられる人ってどのくらいいるのかなぁと思います。
人間ですから、いい面ばかりではないですね、
自分のさらけ出したくない一面が必ずあるはずです。
それをいかに堂々と出していくか。
これは流石に、長い時間ときっかけが必要でした。
でも、時間をかけてもいいと思えるほど大事なことだと感じました。
以前、やりたくない仕事の職場で合わない上司がいて、
多分その上司も私のことが嫌いだったと思います。
お互い合いませんから、ぶつかってばかりでした。
やりたくない、しかも人間関係も最悪、我慢ばかりでした。
そうするとやっぱり残念な出来事ばかりなんですよね、
我慢すればするほどに我慢することが増えていく。
結局、上司から首を切られる形になり職場を離れましたが、
もうこんな我慢はするものか、と決めました。
ちっとも毎日が楽しくなかったからです。
でも、我慢せず自分らしく生きたいとは思うものの、自分らしさがわからない。
だったらとりあえず嫌だなと思うことはやらないことにしようと。
そうしたらですね、
やってしまって恥ずかしいと思うことがたくさんあったんですが、
まずそれを他人に隠すことがしんどくなってきたんですね。
あまりにも数が多すぎて(笑)
「仕事でうまくいかず転職を繰り返してる自分」、
「いい歳してお金がない自分」、
「お酒を飲んだらたまに羽目を外しすぎる自分」、
「すっぴんに自信がない自分」、
「友達が少ない自分」、
「恋人がいなくて寂しい自分」、
「趣味が少ない自分」。
まだいっぱいあります(笑) 他人にいい風に見られたい一心で生きてきたようなものですから。
でも、ふと我に返ったとき、
「あれ、これが自分なのか。。。。」
と、すんごい納得してしまった自分がいました(笑)
え、ありのまま~って。。。
え? ありのままって
これを認めるってことなのか?!
いや~、まじか。そうなのか。
なんか、
これに気付いた時、
かっこいい自分ではなかったというがっかり感(笑)と同時に、
すぅ~~っと肩の荷が下りた気がしました。
恥ずかしいと思うことも、それも自分なんだと。
仕方ないわ、だってこうやって生きてきてしまったんだから。
こりゃ~気づいちゃったらしょうがない。
試しに、もう何も考えずに毎日とりあえずなんでもやってみっかと思い、
情けない自分もあっけらかんと出してみました。
今はお金ないんだけどね~今から貯めて今年は旅行にいこうと思う~
とか、
転職しまくりで印象悪いかもしれないけど、それでも仕方ないわ、経験を活かしてやれることやるわ~
とか、そんな感じ。
そしたら、いろんな人がご飯おごってくれたり(笑)、
今の職場では、経験が多くて頼られたり。
本当にありがたい。
何にも我慢してないのに、ありがたいことがどんどんやってくる。
だから感謝もすごく自然にできるようになったし、
人付き合いが苦手だったけれど、
ダメダメの私をいろんな人が助けてくれるなんて、どういうことだと。
今では、一人でいるのもいいけれど、
自分を包み隠さずにいれるから、誰かと過ごしていても楽しいと思えるようになりました。
なにより、
笑顔が増えました。
誰かと笑いあえる。くだらないことで笑いあえる。
自分が楽しいと思うことが、増えてくる。
意外でした。
恥ずかしいを捨てたら、
こんなにも楽になれるなんて。
だから、私の脳みそ辞典で「恥ずかしい」という言葉を調べることは
本当に少なくなりました。
ただ、その言葉を辞書から全く無くすと、
「鼻毛が出てるよ」って言われたときに
「これも私だから~
」って言いかねないので少しは残してありますが(笑)
それ以外は、もう、本当に。
ゆるーく、ゆるーく、
少しずつ、少しずつ、
ありのままの自分を見つけていこうと決めました。
「こんな自分はだめなんだ」と決めつけてきた数十年。
それがそうじゃなかったと気づくためには、辛いこともたくさんありました。
でも、決めつけてきた自分があったからこそ、
この学びがあった。
どんなことも、新しい自分になるためには必要なことなんだなぁと
改めて感じています。
12月から仕事が始まって、中々ブログを更新できずにいました。
書くことが習慣になってない証拠ですね。
短くてもいいから続けることが大事だなと改めて思っているところです。
最近、以前読んだいろんな方のブログや音声を再度読んだり聴いたりしています。
なんとなくさかのぼって、ピンときたものをクリック。
すると、
以前聴いていた時に「なるほどー」と思っていたことが、
今思うといかに表面的な受け止め方だったかに気が付いたりします(笑)
腑に落ちていなかったというか。
分かったつもりだったというか。
人生というものは一日一日を積み重ねて、毎日少しずつ違う自分になっているんだと思いました。
感じ方が違うんです。
斎藤一人さんが「100回聞いてください」と言って音声動画を発信されたりしますが、
今はその意味が分かります。
最初に聴いたり読んだ時は、自分の受け皿がその内容には届いてないか(まだ必要ないか、レベルが違う)、
自分と芯から向き合えてないか。
そんな感覚が、
最近読んだ時のリアクションが
「なるほどー」じゃないんですよね、
【それそれそれなの!!】っていう、目が覚める感覚。
一度は触れた内容なのにね、
新しい学びと発見があります。
再度そういうブログなどに導かれるということは、
今の私にはそういうことが必要なんだなと思います。
数ある情報の中でそこに行きつく不思議。
素直に受け止めて、
人生を生きやすくしていきたいなと思っています。
断捨離をしながら思います。
だんだんベーシックなものが多くなってきたなぁと。
服も、小物も、使う化粧品の量も、飲み物食べ物、行きたいところも好きな人の好みも。
ただ年をとったというだけかもしれませんが(苦
ガチャガチャしているよりは、シンプルな方が落ち着くようになりました。
柄物の服も大好きです。
でも、かなり引き算コーデを考えます。
化粧品も、昔はあれやこれやと買っていましたが、
今は上から「付けるもの」ではなくて、内側の健康から見直して肌の調子を整えます。
行きたいところも、住むのは田舎、時々都会のバランス。
食べ物もあんまり冒険しなくなりました。
人とのお付き合いも、男女問わずまぁ落ち着いた人がいいですね。
自分もうおばあちゃんかよって(笑)
だからですかね、
たまに訪れるフレッシュなエネルギーがとても刺激的です。
学生たちの恋愛をみたり、
服装や、
強がってガツガツ歩いている人とか、
都会の盛り上がっているニュースとか。
この時期はイルミネーションとか素敵ですね。
なんだかんだ好奇心が多かったです。
どんなことも「付け足すこと」が多かった。
それは人生とって必要な感覚だけども、
最後に食べたくなるのは「白いご飯とお味噌汁」みたいな感覚かな。
大事なものは自分の中に「今あるもの」なんだろうなぁと。
ここ数年自分と向き合ってきた感想です。
人生は死ぬまで勉強ですから、
今の私が今までで一番いいとかそういうことではないんだけれど、
人の気持ちなんか早々変わらないとかそんなこともないし、
かといって幼少期から変わらないことだってあったりで、
長いようで短い、短いようで長いこの人生っていうのは、
本当に面白いもんだなぁ
なんて思ったりしています。







