人を動かすには、御託を並べるだけでは駄目だ。
三国志でいえば、劉備や諸葛亮がよく言ったように、
人心をつかむ必要がある。要はモチベーションだ。
やる気は人間を軽々と牽引するが、そこに至るまでが難しい。
ロンドンオリンピックのメダリストたちによる
銀座のパレードには、十万もの人が集まったと聞く。
日本人はそんなにスポーツが好きだったろうか?
否、観衆はスポーツの中に改めてモチベーションを見たのだろう。
政治や経済に愛想をつかしたと言っていい人々には、
わかりやすくポジティブな「おすそ分け」が必要だった。
文化でも芸術でも学問でも流行でもなく、スポーツ。
スポーツの持つ入り込み易さ、伝達の速度が有効に働いた。
「日本人が外国の選手の中で活躍できるわけがない」
というマインドセットがア・プリオリなものとしてある。
だがそうした誤解に近い思い込みは崩壊の真っただ中にある。
21世紀になってからの11年間を見ても明らかだろう。
「センター前ヒットならいつでも打てる」と言った青年は、
2001年に太平洋を渡った。大リーグ一本目のヒットはセンター前だった。
思い込み崩壊の一番手の旗手は、当時26歳のイチローだろう。
ヒットを打ったか、打率はどのくらいかが毎日の「おすそ分け」になった。
それに続くのがサッカー。かつては民放の30分番組でしか見られなかった
海外のクラブチームの中に、日本人選手を見つけられる時代になった。
見つけるだけではない。彼らはレギュラーとして活躍を続けている。
日本人が、体力でも体格でも劣る日本人が、世界の檜舞台に立っている。
やはり時代という一枚岩が瓦解し始めていると感じる。岩の下には
モチベーションがぎっしり詰まった宝の箱がたくさんあるはずだ。
手つかずの重要なものは、往々にして身近にあったりするからだ。
モチベーションを取り込んで歩めば、「気づき」の里程標がある。
人生行路という長距離種目で納得・満足するには、小さな事柄を
見逃さないことが大切だ。その小さなものがモチベーションの
栄養にもなる。そうして各自は知らぬ間にスポーツ的な人生を
歩み続け、小さな「気づき」の里程標でゴールまでの距離を知る。
日本再生計画とて同じことだ。大きなことは想像しやすいが
実現は難しく、小さなことは想像もし易く実現可能性も高い。
Time(s) Designの現状は机上の空論かもしれない。だが進み始めたら
モチベーションを与え与えられランナーズハイにならないとも限らない。
国内外の喧騒がかまびすしい昨今にあって、スポーツひとりが、
王道を行っているように映る。ロジック、理性、具体性といった
頭脳労働がTime(s) Designには求められるが、スポーツとフラクタルな
関係にある一件をものにすれば、日本再生は絵に描いた餅ではなくなる。



