100年の歴史「はじまり」
出典:ヒルトン・ワールドワイド
約100年前の1919年、コンラッド・ヒルトンは銀行業を目指し、買収できる銀行を探していた。
しかし彼が購入したのはテキサス州シスコにある地元のホテル「The Mobley」だった。コンラッド・ヒルトンはここからホテル事業に参入することになる。
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ホテル経営の才能があったコンラッド。順調にホテルの数を増やしていく。
1925年、ヒルトンの名を付けた「ダラス・ヒルトン」をオープン。
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第二次世界大戦後国際的ホテルへ
1946年ヒルトン・ホテルズ・コーポレーションを設立、ニューヨーク証券取引所に上場を申請した。
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1947年、世界で初めて客室にテレビを設置したのもヒルトンである。
1949年アメリカ国外としては初となる、プエルトリコに「カリベ・ヒルトン」をオープンした。
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1954年、アメリカホテルチェーンである「スタットラー・ホテル社」を1億1,100万ドルで買収。当時、世界最大であり史上最高金額の不動産取引を成し遂げた。
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その後も革新的な予約センターの導入、一流クレジットカードの発行、空港ホテル設立など新しい分野でも成功を続けた。
1964年、海外ホテル事業を分離し、ヒルトン・インターナショナルを設立。
1つの名を持つ、2つのチェーン
ヒルトンは2つの会社にわかれたことになる。
アメリカ国内ホテル
→ヒルトン・ホテルズ・コーポレーション
国際ホテル
→ヒルトン・インターナショナル
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息子バロンがヒルトン・ホテルズ・コーポレーション社長に、コンラッドがヒルトン・インターナショナル社長に就任。
1965年アメリカでホテルのフランチャイズ化を開始。一部のホテルで女性専用のフロアやルーム、特別なアメニティを提供。
1967年ヒルトン・インターナショナルはトランス・ワールド航空の持ち株会社であるトランス・ワールド社に買収された。
1970年ヒルトン・ホテルズ・コーポレーションは、フラミンゴ・ホテルとラスベガス・インターナショナル(後のラスベガス・ヒルトン)を買収し、ニューヨーク証券取引所に上場する企業として初めて国内のゲーム事業に参入した。
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1979年コンラッド・ヒルトンは91歳でこの世を去った。
出典:ヒルトン
変化するヒルトン
コンラッド没後、息子バロンの経営するヒルトン・ホテルズ・コーポレーションは、父の名を付けたコンラッド・ホテルを誕生させた。
米国外でヒルトンの名を使うことができなかった同社は、国外でホテルを展開する目的で誕生させたのだった。
その後も買収劇は繰り返された。
1986年ヒルトン・インターナショナルは、ユナイテッド航空の持ち株会社であるUAL社に売却され、総合旅行会社として生まれ変わろうとした。
1987年、UAL社はヒルトン・インターナショナルをイギリスのレジャー・ギャンブル企業であるラドブローク・グループ・plcに売却した。
ヒルトン・ホテルズ・コーポレーションはアメリカ、ヒルトン・インターナショナルはイギリスに本拠地をおき、それぞれのホテルブランドを堅調に増やしていった。
だが2つのホテルチェーンは契約上、相手の地域でヒルトンの名前を使ってホテル運営することを禁じていた。
協力
1997年、長年の消費者の混乱を最小限に抑えるため、アメリカとイギリスのヒルトン社は共同マーケティング契約を結ぶ。同じロゴを共有し、お互いのブランドを宣伝、共同予約システムの使用を約束した。
出典:HN
1998年ヒルトン・ホテルズ・コーポレーションは、ゲーム事業をパーク・プレイス・エンターテイメント(後のシーザーズ・エンターテイメント)という独立した株式公開企業に分離。
1999年ヒルトン・ホテルズ・コーポレーションは、多くのホテルブランドを持つプロマス・ホテル・コーポレーションを買収。
1999年ヒルトン・インターナショナルは、社名をヒルトン・グループ・plcに変更。