最近 幸せって本当になんだろうと思うときがある。

 私は、本当に愛されているのか? 愛されていないと感じるようになったら
もう、諦めていいのか?すべてを捨ててでも、愛される人へと行ってもいいのかと。。。

愛は、見るものでもなく感じるものだと
けど、最近なにも感じない

毎日 怒鳴られているのがもう、うんざり
毎日 大切にされないことに対して うんざり
毎日 小遣いをやっているだろと攻められるのもうんざり
毎日 愛されないことに対して 何故 自分はまだ一緒にいるのかに理解に私自身が苦しんでいる

過去に 気持ちも心も裏切られて それを隠すそうとそれを人のせいにし相手の親を苦しめたからと 自分の親を使ってまで裏切るものは、信用さえもう二度とできないと思う。

いつかくることは解っている 自分へのけじめ その日は 突然くるだろう。。いつも そうやってきたから

人生は、一度だけだから愛される人と共にいたい そしてその人を愛したい そして本当にあたたかい家庭が欲しい。人前だけのでなく

大切にされたい 最後まで怒鳴らず相手の話を聞き聞いて欲しい。目と目を合わせて怒鳴らずに

すべてのものに、義務づけられるのではなく~をしてありがとうとか綺麗だねと家族としてひとつとして 俺が払った 俺が払ってやっているから出て行けとか言われるのがもう嫌だ。自己中心的な人はもううんざりだ。

 今、新しい命があるから我慢に我慢を重ねているがいつかは 私は勇気がまた訪れて後ろを振り返らずにすべてを投げ捨てることが目に見えている。わがまま育ちでもなんとでも言われても構わない もう。このような姿をその新しい命が大きくなって このような惨めな最悪な家庭には育って欲しくない。
もう少しだけ我慢をして時間がきたら すべて終わらせてZeroから始める。

  もう、終わっているものをまた初めても同じ もう壊れた花瓶に花を飾っても 水が漏れ花は死ぬのを待つだけ そんな花には絶対になりたくはない


 今日は、晴れ+暑かったけど ミッドタウンに行き昼食(ラーメン)を久しぶりに食べてその後、ちょっと買い物をして、夕食は(玄米、豆腐とサラダ)お昼は、ラーメンだったからカロリー考えないといけないですしね。

 今は、ごく普通の生活 母親と妻 もちろんイライラしてしまう時もありますけど 例えば誕生日や結婚記念日を忘れられた時とか、けど毎日 健康で喧嘩したり仲直りしたり 本気で別れようと思うときも幸せなんだなーと思うようになれました。普通の毎日が当たり前と思っていたけど 津波で苦しんでいる人達や病気やさまざまな理由で苦しんでいるのに”普通の毎日”なんて失礼で本当は、毎日は”大切の毎日”ではないといけないのに、

 毎日、仕事をしその達成感を感じるのが生きがいだった時もありました。敵もできてしまったり
目の前に、苦しんでいる人がいて 手を差し伸べたくてけど差し伸べようとするほどその人は遠く去っていってしまう。それが凄く私には辛かったそれは その人の心が寂しいという声が聞こえていたから けど、他の人達に迷惑がかかり 毎日 頭を下げ どうか二つとも上手くいくように考えたりもした。このままだと
その人はもっと苦しみ取り返しのつかないことをしてしまうのではないかと毎日心配でしょうがなくて、けど何もできなくて祈ることしかできなかった。どうか明日でもいい5分だけでもいい顔を出してくれればいいとそう思っていた。

選択が、二つしかなかった。
1-何もしないまま苦しませ居心地悪いところに居て影で指を刺さられその人の気持ちを理解せず貶される姿を見るか(その場では 成長もできず反対に、綺麗な心が黒く汚れ腐っていく)

2-それか、自分が責任をとりその人に憎まれ その場を去りその人のありのままを理解してくれる場所や人達に囲まれたほうがいいかと

 私は、その人の幸せがどんな形をしどのような人生を送るのかは 決められないけど、その人が苦しんでいるのをもう耐え切れなかったそして、迷惑が掛かっている人達に頭を毎日下げるのも辛かった。私だけの選択は無かったことなど解ってくれないだろうね。憎まれても良いその人が、笑顔で自分の信じている道を歩んでくれていれば

その場は、私だけ黒く染まっていればいいと他の人達が綺麗な心でいてくれたら けど疲れるときもあった 何故 私だけとこんなに犠牲にと給料の3割を食べ物(寄付)とか2人分の仕事をし当たり前と思われ、大切な人が他界したときは 花代と言って領収書を書いていて実際 一日泣く為に休みをとればその分も引かれ 領収書は嘘で花代など何ももらっていなく こんなの嫌!!と思いつつこれが現実だということを 憎んだりもした。けど そこで何かをしてもその怒りは治まりなんかしないですよね。けど、いつかそんなことをやっている人は 辛い思いをすると思う。けど 私は自分を心を汚してまでしなくない 連絡さえも取らないことに silence speaks for itself

 本当にごめんね。

  


 
お疲れ様です。
今日は、雨で、何処にも出かけられず

昨日は、東京ミッドタウンでお買い物(夕食)のおかずをとその時、一緒に母親学級を受けた人と偶然会い
母親学級の時には連絡先も交換できなかったのに>< 昨日は連絡先を渡して帰ってきました。

本当に、人と人の出会いを大切にしないとと思う毎日です。

人との出会い その「人」をよく理解してあげることも大切だということ

自分のメリットだけを考えて行動する人と 本当に自分の事を友人と思いどんなことでも側にいること
例え 実際側にいなくても、優しく声をかけたり ただ聞いてくれたりすること それか黙って側にいることだけでも人って心が落ち着くものです。

私は、職場や学校でもその「メリット」を取られていた人であり 取られていたと解っていてもそれは、
自分の心さえ素直でいれば、助けが必要な人がいれば手を差し伸べようと思って しかし、それは時によって(率直に言えば)使われているだけなんだよね。

”なに!この人 自分のことだけ考えて!”と思う自分も嫌いだが、自分を馬鹿扱いされるのも嫌で
なんという微妙な感じです。

経済的に豊かであれば、それはお金目的でよって来る人達も多く その中で本当の友人と呼べる人達、いや 人はどれぐらいいるのだろうかと考えるといないと思うときもある。その経済的豊かだからこそ 
「Fake Respect」というものに、調子に乗ってしまうこと 誰だって尊敬されたい、愛されたい、注目を浴びたいと思うからこそ、その嘘の友情が産まれてくるのだと思う。

だから、誰にも頼らず生きていこうと毎日思う。出来る事はやってみて、それでも無理であればそこで初めて、他人に頼ろうと思う。そして、ちゃんとお礼の気持ちと伝え その人が支えが必要なときには、2度も考えず、手を差し伸べようと これはただの意地かもしれないけどね。

後悔のない人生で誇れる人生には、口座にいくらあるかではない どれだけ自分は自分らしく生き どれだけの人に頼られ頼り生きてきたかが大切だと思う。馬の合わない人達とも出会うときもある それは、無理にその人と合わせずどれだけ その人達の気持ちを理解しようかとする努力が必要・大切だと思う。
(避けられない時もあるしね)

 今日も頑張っていきます:)

毎日に有り難うという気持ちを忘れずに:)