先日、大阪府の吉村知事が唐突に「イソジンがコロナ対策に有効的だ」というコメントを発表したため、ドラッグストアの「うがい薬」がすぐに売り切れるという騒動が起こりました。

その後、医療関係者から効果について疑問視するコメントが出されたため、買い占め騒動は落ち着いてきたように見えますが、いまだに「うがい薬」を探している方もいるようです。

「勇み足」と指摘した方もいますが、そんな簡単なレベルの間違いでは済まされない話でしょう。

イソジンを買いに走った人に致命的に欠けた力
https://news.yahoo.co.jp/articles/b119d22a0008c86b4ef19307f13c3a473df0073a


そもそも「うがい薬」という薬剤は、最近は「使う必要がない」から「使わないように」とアナウンスされていたはずです。当たり前ですが、薬というものは全て毒物ですから無用に摂取すれば体に害が出ます。

おそらくは事業的に危機的な状況に追い込まれていた「うがい薬」業界が仕組んだキャンペーンだったのでしょうが、それに吉村知事がまんまと乗せられてしまったのでしょう。

そもそもコロナは「菌」じゃないですよね。w



子供の頃、ケガをした時はよく「赤チン」をつけた記憶がありますが、今ではご法度となっています。擦り傷などのケガに使われている消毒剤ですら、今の医者に言わせると「使わないように」と言われます。

擦り傷程度なら塩素入りの水道水で洗うだけで十分だそうです。
野生動物なら傷口を舐めて治しますが、唾液には殺菌効果があるので理屈にあっているわけです。

消毒液は毒物ですから雑菌を殺すのと同時に、人の細胞にも悪影響を与えるため傷の治りが悪くなるためだそうです。
「そんなことを今更言われても」と思いますが、これが科学的という考え方の基本です。

ちなみに、「赤チン」ヨードチンキは2020年12月31日をもって製造が禁止になるようです。


「科学的」とは、考え方が論理的で実証的で系統だっているとされています。
ただ、これはその時点での知見をベースにしたもので、非常に浅い考え方だとも言えます。

だから、昔は「正しい」とされたことが今では「間違い」と言われることも多々起こるわけです。
サルから進化した人類は、まだまだ進化の途中なのです。


一方「幻想」は根拠のない空想や、とりとめのない想像の意味ですが、時間軸に幅を持って見れば「科学的」というのもは「幻想的」と捉えてもさほど違いはありません。

WHOの職員が「科学の力を信じなさい」と言っていましたが、
私は「ほとんど宗教的」と感じました。



そんな中、一番危惧しているのは新型コロナのワクチン開発です。

各社とも、金儲けのために我先にと鎬を削ってワクチン開発に取り組んでいますが、そもそも10年かかると言われていたワクチン開発の研究を数ヶ月で終了して、すでに臨床試験をはじめているようです。

 

大丈夫なのでしょうか?

何より嫌なのは、そんな不気味なワクチンを強制摂取させられてしまうという世の中の流れです。既にワクチン接種証明のアプリも開発されているようです。

おそらく、ワクチンを摂取している証明がないと何もできない世の中になるんでしょうね。
そこまでしてオリンピックなんてしてほしくありません!


新型コロナウイルスワクチンの開発に係る取組み - 厚生労働省
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000635865.pdf


「アベノマスク」の話なら税金の無駄遣いで済まされますが、
このワクチン問題は人類の存亡が左右される可能性もあります。

日本では以前に実施した集団予防接種での医療ミスによりB型肝炎に感染された方も沢山いて、救済のための給付金も支給されています。科学的に正しいとされる常識は、未来では非常識と判断される場合もあるわけです。


何より時間が足りていないと感じます。

概ね、どこの国のどんな民族でも、伝統は重んじられる傾向にあります。
それは、先人達の生活様式を学び模倣することで、生活環境や食文化、様々な祭り行事等々も全てトータルした上で「生きてきた証」として捉えているためです。
伝統とは長い時間が証明している生き抜いてきた確固たる事実ですから模倣する価値があるわけです。

伝統文化と科学的とは根本的に考え方が違います。

今の風潮は、スマホ文化のように何でもスピードを重んじる傾向にありますが、これは危険です。
もちろん自然淘汰の原則の中では変化が求められ、それに追随する必要はあります。
しかし、必要以上のオーバースピードは自滅する可能性もあります。

自然に寄り添う時間の流れが重要です。

「時短」だ「グローバル」だのと生き急ぐより、
スローライフにこそ豊かな人類の未来があるように思います。

価値観を変えませんか?


「コロナ禍」の中、普段とは違う日常生活を強制されることで、本来、誰もが自然と身についていたはずの常識や良識がどんどん失われつつあるに感じます。

「わが身は自らが守る」という当たり前のことが、
それすら許されない戦時中のような強い思想統制の流れを感じます。

「コロナボケ」が進んでいるようです。


これも愚かな人類の運命と受け止めれば仕方のないことですが、
何とも情けない愚かさを感じます。

オリンピック止めませんか?

お願い。

 

 

 

私はマスクも必要のない、こちらの世界が好きです。

 

 

今日の夕日も綺麗でした。

 

ペルセウス座流星群を見ましたか?