嫌いじゃないですが、
どうしてアウトドア派はアイテムに拘るのか?
わざわざ貴重な時間と高いコストを払って大自然の中に入りながら、中途半端な快適性を求めるわけです。
どこのブランドの何とかシリーズの今年の最新バージョンだとか・・・
しかもそれが異常に高いのです。
しかもそれが異常に高いのです。
ほとんど無意味なちょっとした拘りのカタログスペックを鵜呑みにして、それが素晴らしい機能を持っているのだと信じ込むわけです。そんなカタログスペックにすっかり洗脳されている者にとっては価値がある物に見えてしまうのでしょう。ほとんど宗教的価値観に近いもので、おそらくその妄想が脳内麻薬となって快楽を得る仕組みなのでしょう。
何とか山荘とかに行くと、ほんの数グラムの違いで数千円も違うようなストックが売ってるわけです。一般的には理解しがたいのですが、洗脳済みの人達にとっては素晴らしいものに見えるようです。
チャリンコでもネジ1本数グラムの違いに拘りを持ってる方もいますが、その前に自分の腹に蒔いた数キロの燃料タンクを少し減量すれば簡単にチャラにできます。いやシッコするだけでも数百グラムは変わります。
The Soggy Saga of Joe and Co. or.. Tarp Camping in the Snow with Friends.
https://youtu.be/aBPKkchX5_g
https://youtu.be/aBPKkchX5_g
地球をビリヤードの玉のサイズにすると、ほぼ鏡面に近いツルツルピカピカになります。富士山とかヒマラヤとか世界七大陸最高峰とか、そのツルツルピカピカの上に登って喜んでいるわけです。つまりそれだけ人間はちっちゃいというだけなのです。
子供の頃、裏山によく基地を作りました。
地形を利用して、木や草やツルを使って小さな小屋のようなものをあちこちに作りました。ナイフ以外の道具もなければ、靴やウェアに拘ることもありません。ただ山の中での時間を楽しんだものです。
地形を利用して、木や草やツルを使って小さな小屋のようなものをあちこちに作りました。ナイフ以外の道具もなければ、靴やウェアに拘ることもありません。ただ山の中での時間を楽しんだものです。
今時の大人のオコチャマは、そんなことはしないようです。
これも効率性や経済性を追求する現代病なのでしょうか?
これも効率性や経済性を追求する現代病なのでしょうか?
アウトドアの価値とは、科学的にコントロールされたものではなく、出たとこ勝負の自然淘汰的な取捨選択の中に我が身を晒すスリリングなドキドキ感なのでしょう。
あんまり賢い選択ではないことは間違いありません。
嫌いじゃないですが、(笑)
嫌いじゃないですが、(笑)