人生は何がきっかけで動き出すかわからないものです。
特に子供から大人への思春期の偶然の出会いは、その後の人生に多大な影響を及ぼします。
私の場合は高校の夏でした。

中学校時代から音楽少年だったのですが、当時は高価だったギターのエフェクターを安く手に入れるために、キットを購入して作り出したのが電子工作への目覚めでした。
アンプやディストーション、リズムボックスといったものからシンセサイザーまで作りました。


自作シンセサイザー「WAVE KIT」
http://blogs.yahoo.co.jp/kai_yamamoto/59642840.html

「WAVE KIT」 Homemade synthesizer 【デモ・ムービー付き】
http://blogs.yahoo.co.jp/kai_yamamoto/59647251.html


当時はトランジスタからIC、さらにLSIという大規模集積回路への過渡期でした。
まだCPUというものがそれほど浸透していない時期です。

そんな高校時代の夏の頃、友人に誘われ学校帰りに近くのスーパーのゲームセンターに出入りを始めました。
当時はインベーダーゲームが全盛期でしたが、私が好きだったのは「トランキライザーガン」というゲームです。
麻酔銃でジャングルの動物を捕獲する地味なゲームでしたがそのスローなテンポにハマりました。

トランキライザーガン Tranquilizer Gun

https://youtu.be/92Icl_x4-Ig

このゲームとの出会いがあってから、趣味の電子工作の方向性も変わってきて、LSIを使ったテレビゲームのキットも作り出しました。自分が作った基盤のRFモジュレターをテレビのアンテナに繋ぐと映像と音が出るのに興奮しました。

ボリュームで動かす定番のPONGとか、リモコンで操縦できる戦車ゲームなどを作りました。
http://www.ne.jp/asahi/shared/o-family/ElecRoom/ElecGame/AY3_8700/AY3_8700.html

丁度その頃任天堂のゲームウォッチも誕生しています。
まだまだゲーム機がハードの時代で、CPUとソフトの概念に気付いていなかったころです。

やがてそのからくりに気付いて、ハードを作り替えなくてもソフトを変えれば別の機能が動作するということを知ったときは衝撃的でした。ものぐさな電子工作少年がすっかりソフトの虜になったのは言うまでもありません。
結果、進路はハードからソフト志望に変わりました。

私の場合、どの教科書よりもゲーム機との出会いがその後の人生を大きく左右したのは間違いありません。
ゲームフリークではありませんでしたが、その中身に大いに感化されました。

そんなことで、青春を思い出すツールとして1つオモチャを買ってみました。
チョビのおやつではありません。

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ミニチュアのアップライト型ゲーム機です。
当時はテーブル型のゲーム機が主流でアップライト型は少なかったように思いますがゲームセンターの雰囲気があります。しかも、これ実際に動作してゲームもプレーできます。

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ゲームの内容は大したものではありませんが、昔のファミコン程度のゲームが108種類も入ってます。
老眼には厳しい2インチ画面ですが、デモ画面を眺めているだけでも郷愁を誘います。


こういうのもあったりします。
これも液晶のミニゲームが動作します。

イメージ 3

しばし青春時代にトリップして当時の友人の顔を思い出しました。
みんな元気にしてるんですかねー