毎夜・・毎夜・・・空腹と鉛のように重くなる胃袋を繰り返し体験しつつ、
ドロドロと解けるように寝たるだけの日々が続いています。
その解ける寸前(約30分)が「私の時間」となっています。
さすがに工作物に手を出す余裕は無いのですが、RTSにはまっています?
といっても「Age of Empire 供廚離妊眸任任垢・・・いまさらですが。
何せ時間は無いので、デモ版で十分なんです。(このデモ版十分遊べます)
しかも非力な私のマシーンでは、このクラスのゲームで精一杯なわけです。(靴呂箸討睫詰?
このゲームなかなかよく出来ています。特にシム系が好きな人には向くゲームかと思います。
つまりは「眺めゲー」的な要素が強くって、年寄りでもまだついていけます。
ゲームの進行は、住民を作り、農業や森林伐採、漁業を行って国力を高め、軍隊を作り、やがて隣国に攻め入り攻略するというゲームです。
敵国に攻め入られて国を滅ぼされればゲームオーバーです。
単純明快なストーリーです。
困難なのは序盤の立ち上げで、国力が無い時に攻め入られるとほぼ負けになります。
国の立ち上げはなかなか面倒で、時間がかかる作業なわけですが、これを数日に渡って少しづつ遊んでいます。
シムシティなどは明確なゲーム勝利というのが無いのですが、言わばこのゲームの序盤部分だけを行うゲームともいえます。(ちょっと違うような気もしますが)そんな感じで遊んでいます。
ゲーム中で小さな人間がチマチマと働いている姿をボーと眺めていると、あっという間に私の時間は終わってしまうのです。
言いたいのはゲームの内容ではないわけで・・・
「何故に隣国に攻め入るか?」ということです。
「攻撃」は、あんまり気乗りのしない「ゲーム指示」ではあるのですが、放っておいてもやがて自然に戦争が起こります。
つまり資源が枯渇することで、新たな資源エリアが必要になる仕組みになっています。
ゲーム中の小さな住民は、身の回りの資源を食いつぶしては勝手に生活エリアを拡大していきます。
すると何れは隣の国との資源争いに発展するわけです。
この当たりの作りが、何とも消費生活型というか、狩猟民族的思考というか・・・
農耕民族的な感覚とは少し違うような・・・違和感があるところです。
確かに現実は、人が生きていく上では何らかの資源を消費(浪費)しますので、
自然に対して何らかの影響はあるのですが、それがゆっくり進むか、早く進むかの違いはあるとは思うわけです。
「まー何れなくなる資源だから使っちゃえ」的な考えもあるかもしれませんが、できれば長く存続したいと考えるの自然かとも思うわけです。
で、興味のあるところは、敵の思考ルーチンです。
自国の状態、敵国の状態、様々なアイテム配置状態や地形的な要素まで、かなり複雑な思考ルーチンが必要に思えます。
このゲームのポイントは、何時敵国に攻め入るかのタイミングが全てともいえます。
それをどうやって計っているのか、また兵士一人一人が自由に行動しつつ、群衆での攻撃を仕掛けてくる行動制御がにくい。
この思考ルーチンを分析するのはなかなか面白いかも。
あっ、というか全てのコンピュータゲームはその思考ルーチンとの時間つぶしなのだった・・・
てなことをボーと無駄に考えつつ、気を失うように眠りにつくわけです。
ドロドロと解けるように寝たるだけの日々が続いています。
その解ける寸前(約30分)が「私の時間」となっています。
さすがに工作物に手を出す余裕は無いのですが、RTSにはまっています?
といっても「Age of Empire 供廚離妊眸任任垢・・・いまさらですが。
何せ時間は無いので、デモ版で十分なんです。(このデモ版十分遊べます)
しかも非力な私のマシーンでは、このクラスのゲームで精一杯なわけです。(靴呂箸討睫詰?
このゲームなかなかよく出来ています。特にシム系が好きな人には向くゲームかと思います。
つまりは「眺めゲー」的な要素が強くって、年寄りでもまだついていけます。
ゲームの進行は、住民を作り、農業や森林伐採、漁業を行って国力を高め、軍隊を作り、やがて隣国に攻め入り攻略するというゲームです。
敵国に攻め入られて国を滅ぼされればゲームオーバーです。
単純明快なストーリーです。
困難なのは序盤の立ち上げで、国力が無い時に攻め入られるとほぼ負けになります。
国の立ち上げはなかなか面倒で、時間がかかる作業なわけですが、これを数日に渡って少しづつ遊んでいます。
シムシティなどは明確なゲーム勝利というのが無いのですが、言わばこのゲームの序盤部分だけを行うゲームともいえます。(ちょっと違うような気もしますが)そんな感じで遊んでいます。
ゲーム中で小さな人間がチマチマと働いている姿をボーと眺めていると、あっという間に私の時間は終わってしまうのです。
言いたいのはゲームの内容ではないわけで・・・
「何故に隣国に攻め入るか?」ということです。
「攻撃」は、あんまり気乗りのしない「ゲーム指示」ではあるのですが、放っておいてもやがて自然に戦争が起こります。
つまり資源が枯渇することで、新たな資源エリアが必要になる仕組みになっています。
ゲーム中の小さな住民は、身の回りの資源を食いつぶしては勝手に生活エリアを拡大していきます。
すると何れは隣の国との資源争いに発展するわけです。
この当たりの作りが、何とも消費生活型というか、狩猟民族的思考というか・・・
農耕民族的な感覚とは少し違うような・・・違和感があるところです。
確かに現実は、人が生きていく上では何らかの資源を消費(浪費)しますので、
自然に対して何らかの影響はあるのですが、それがゆっくり進むか、早く進むかの違いはあるとは思うわけです。
「まー何れなくなる資源だから使っちゃえ」的な考えもあるかもしれませんが、できれば長く存続したいと考えるの自然かとも思うわけです。
で、興味のあるところは、敵の思考ルーチンです。
自国の状態、敵国の状態、様々なアイテム配置状態や地形的な要素まで、かなり複雑な思考ルーチンが必要に思えます。
このゲームのポイントは、何時敵国に攻め入るかのタイミングが全てともいえます。
それをどうやって計っているのか、また兵士一人一人が自由に行動しつつ、群衆での攻撃を仕掛けてくる行動制御がにくい。
この思考ルーチンを分析するのはなかなか面白いかも。
あっ、というか全てのコンピュータゲームはその思考ルーチンとの時間つぶしなのだった・・・
てなことをボーと無駄に考えつつ、気を失うように眠りにつくわけです。