2021.10.17(日)vol.84

 

「青天を衝け」を観ています。

 

 

2024年に一万円札になる渋沢栄一の話。

大河ドラマは臨場感があって見応えがある。

 

歴史に明るくない私はこういうところで

学ぶのです。

 

 

〜「自分らしい」が最強で最高〜

 ドリームマップ for Business 

ファシリテーターの

“This is ME”  太田千郷です。

 

 

今週気になるのは史実よりも

栄一の浮気がバレることw

 

この時代、甲斐性のある男の人は

こういうものだったようで。

 

お札になるほどバリバリ仕事をして

歴史に名を残した人なのだから

モテてしまうのは仕方がない。

 

 

 
甲斐性がなくてもイケメンじゃなくても

 

一方、甲斐性がなくイケメンでもないのに

なぜかモテてしまう人がいる。


 

私の中の代表格はうちの父。

 

7年前、67歳のときに膵臓ガンで他界。


 

亡くなる数年前に行った高校の同窓会でも

父はかつての女子高生に囲まれていたという。

同級生に冷やされて「ばあさんばっかりじゃ」と毒づく


 

こんなヒトですけど↓

 

私が小学校に入る頃には

父を家で見ることは少なくなった。


 

9歳のときに父と母が離婚するまでに

私は父と一緒に暮らす

母でない女の人に3人会った。



3人目に会った人とはその後再婚。


 

離婚の理由は父の女性関係と思いきや

もっと深刻だったのは

生活費を家に入れなかったことらしい💦

 

父方の祖父母は商売をしていたので

それなりに裕福だった。

 

父はあちこちで借金を作り、

祖父母はあちこちでそれを片付けた。

 

あんなに潔く親のスネをかじる人を

私は他に知らない。


 

祖父は元軍人で戦後に商売を始めた

とても厳格な人だったが父と祖父の関係が

悪いようには見えなかった。


 

父は問題の多い人であったものの

悪さをしに出ていくときにも明るく元気に

「行ってきます!」をいい

 

帰ったときにも「帰りました!」と

挨拶していたんだと。

 

正しさより明るさ☀️

こんなところで使いたくない良い言葉🌿

 

 

父の告白
 
父と一緒には長く暮らせなかったけれど
会えなかったわけじゃない。
 
私が大学を卒業してデパートに勤めていた頃
(22、3歳?)
父の妻が同窓会で実家に帰ったので
一緒に夕ご飯を食べようと
父から電話があった。

 
外でご飯を食べて
その日は父の家に泊まることに。

 
何か重要な話があるようでもなく
父が嬉しそうに話す昔ばなしを聞いていた。

 
大学時代の応援団で団長だった話、
イレブンPMに出演した話etc
喋っているのはずっと父である。

 関西大学 応援団の帽子

親子の会話というよりは


いや
スナックのお客さんと
店の女の子の様相( ̄▽ ̄)💦

 

夜中になっても話を続ける父が

カラカラと笑いながらこう言った。


 

お父さんは反省はするけど後悔はしない。

してもしょうがないからな。

 


でも人生で一番卑怯だったと思うのは

 

 

お前のお母さんの前に

付き合ってた人と

駆け落ちせんかったこと😆キャハ

 

 

え?なんだって???

 

 
ー続く
 
 

 

今日のまとめ いや、キャハ😆じゃねぇし。