【日本映画】
・世田谷区,39丁目
・沈まない三つの家
・サッドティー
・劇場版 零 ~ゼロ~
・ぼんとリンちゃん

 【外国映画】
・ホビット 竜に奪われた王国
・ジャージー・ボーイズ
・西遊記 ~はじまりのはじまり~
・ホビット 決戦のゆくえ
・オール・イズ・ロスト ~最後の手紙~
・フューリー
・LEGO ムービー
・ブルージャスミン
・ウルフ・オブ・ウォールストリート
        (以上、観賞順)

 スイマセン。(と毎年謝ってますが) もう年なので、肌に合わない題材の映画を観るのが精神的に本当につらく。世間的評価は高いけど食わず嫌いした作品多数。特に邦画に。

今年の期待外れは
・キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー
・劇場版テレクラキャノンボール2013
・GODZILLA ゴジラ
・舞妓はレディ
・抱きしめたい ~真実の物語~
・ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー
・インターステラー
・スノーピアサー
・プリズナーズ
・ゴーン・ガール
等々。
 これってその多くが「映画秘宝」のベスト10に選ばれているもので、「やっぱ相性悪いな」と思い。(笑)

 中でも評判の良い『インターステラー』は何か違和感があって。「何が良くないんだろうなぁ」とズーッと考えていたのですが、SF作家の北野勇作さんとお会いした際、二番目の惑星での○チガイ博士と主人公と宇宙服を着ての殴り合いや、着陸船と母船が無事ドッキングできるか否か等を「あんな無理矢理盛り上げようとするシーンいらんでしょう」と指摘され、「ああ、わしが感じていたのもそういうことだったのか」と腑に落ち。ま、ラストはジョー・ホールドマンの「終りなき戦い」風で好きですけど。

 また『プリズナーズ』 『ゴーン・ガール』はストーリー展開だけに関して言えば、パトリシア・ハイスミス信奉者のぼくには、前者は「プードルの身代金」、後者は「殺人者の烙印」のブッ飛びぶりには遠く及ばず。

オール・イズ・ロスト  その一方、沈みゆくヨットでロバート・レッドフォード翁が一人奮闘する『オール・イズ・ロスト』は好みにドンピシャ。『インターステラー』や、設定が似ている昨年の『ゼロ・グラビティ』より遥かにワクワク。

 『西遊記~』は欠点は多々ありますが、冒頭の湖での妖怪との対決シーンの構図、編集、空間表現が素晴しくて魅せられ。チャウ・シンチー監督の映画は常にどこか光る箇所があります。

 人形アニメに見せかけてて実はCGの『LEGO ムービー』は、視覚描写の巧みさ(波の動きまでレゴで表現!)と緻密な脚本(物語がレゴという玩具の「なんでも好きな形のものを作っていい」というコンセプトと密接に結びついている)に脱帽。
 
 『ブルージャスミン』の主人公を笑える人は人生にまだ未来がある若人かリア充野郎でしょうな。ぼくなぞは、過去に拘り破滅への道を転がり落ち続ける主人公ジャスミンのダメダメぶりに「彼女はわしだ!」。終幕、「ブルームーン」が流れた瞬間、「おお~っ、あれをここで使うか!」と涙。

 『フューリー』は物語は陳腐ですが、音響効果と、本物のタイガー戦車を使った戦闘シーンの迫力に敬意を表し。

  
沈まない三つの家 『沈まない三つの家』は『チチを撮りに』の中野量太監督の長編第二作。俳優ワークショップから生まれた、自主映画に近い作品なので、一般劇場で公開されていないのが惜しい良作。中野監督の登場人物全員に注ぐ眼差しは例によって温かく、出演俳優もそれに応えて力演。

 ndjc2013若手映画作家育成プロジェクトの短編『世田谷区,39丁目』はかつてのNHK少年ドラマシリーズを想起させるファンタシー。構成・演出もしっかりしており、好感が持てました。

 2014年は『ぼんとりんちゃん』で小林啓一という才能を遅ればせながら知ることができたのが収獲でした。
 昨年の湯布院映画祭で上映された短編『お兄チャンは戦場に行った!?』( 13年 監督:中野量太)のゲスト小宮一葉さん。彼女がツイッターで、「本当に思い入れのある役、大切な作品、自分が変わるきっかけにもなった作品」とつぶやかれていたので、ファンとしては「そりゃ観ない訳にはいかんやろう」と『ひ・き・こ降臨』14年 脚本=宮崎大祐 監督=吉川久岳)をDVDで観賞。内容がホラーということ意外の予備知識は全くなし。


 フェイスブックで小学校の同級生たちとの十年ぶりの同窓会を企画したゆかり(秋月三佳)。集まったのは紀里子(サイボーグかおり)とニコ(小宮一葉)の二人のみ。しかもゆかりも紀里子も自分達のクラスにニコという子がいたかどうか思い出せない……という時点でニコが怪しいとわかるのだが、意識して見ると、彼女の撮り方が微妙におかしいというか、怪しげに撮られているショットが幾つもあるのに気づく。


 例えば下の写真、画面中央、カメラにドーンと背中を向けている黒髪の塊りがニコ。一見何の変哲もないショットだが、こちらが「ニコは怪しい」と刷り込まれたこともあり、『リング』(98年 監督:中田秀夫)の貞子がカメラの方を向いて立っているような感じに思えてきて、本来は単なる後ろ姿なのに、今後の展開の不穏さがジワジワと感じられる。作品の掴みとしてはなかなか巧み。(ただし映画そのものは、草むらに横たわる紀里子のショットから始まり、警察で連続殺傷事件の取り調べを受けているゆかりの描写に移り、先述の再会場面の回想となる)

ひきこ降臨01

 続く居酒屋でのシーンでも黒髪後頭部ショットは続く。(下写真) 楽しげに話すゆかりと紀里子にのアップが何度も挿入されるのに対し、ニコの表情が見えるショットが明らかに少ない。
ひきこ降臨02

  そして、不気味描写の決定打が

ひきこ降臨03  ゆかりが一人喋っている時、彼女はもっぱら紀里子に向けて喋っているから写真①のような、顔が画面右にある少し引き気味のアップになるのは極普通の撮り方だけど、そこに突然、画面中央にドーンと据えられた、これまでなかったほとんどカメラ目線に近いニコの正面アップ(写真② ゆかりのアップよりも明らかに寄っている。比較として③を入れておく)が何の脈絡もなくスッとインサートされるのだ。


しかもこれが台詞がなく、表情も何を考えているのか読めないニュートラルなものなので、見た瞬間ぼくは(DVDを夜中に一人観ていたこともあり)吃驚仰天。「えっ、えっ、えっ、今の何!?」と思わず映像を戻し、確認したほど。吉川久岳という監督の作品はこれまで全く観たことないのだけど、気楽な思い出話の会話の中に突然ヌッと現れた不気味さの描写として、「なかなか凝ったことをやりおるわい」と感心。「これは期待できるぞ」とワクワクした。


 その吉川監督のホラー描写を見事に支えているのが小宮一葉さん。この作品における小宮さんの怖さったらない。


 例えば下写真のシーン。三人だけの同窓会の帰り、歩きながら楽しげに喋るゆかりと紀里子の半歩後ろにニコ。二人の話に全然関心ないかのように、会話には加わらず明後日の方を向き、しかもこの空ろな目。完全にイッちゃってるというか、死んでるよ。

ひきこ降臨04
 
 小宮一葉さんは、『お兄チャンは戦場に行った!?』や今泉力哉監督の『こっぴどい猫』(12年)を観た方ならご存知のとおり、小柄で外見も、声も喋り方も甘くてキュート。だが、右記の二本では気づかなかったけど、一般的な意味での《美女》という観点からすると、白目部分に対し黒目がほんの少しだけ小さいのかもしれない。『ひ・き・こ降臨』では目がウルウルしているようには見えず、笑ってても目が笑ってない。小宮さんの正面アップ、怖いよ。(下写真) 小宮さんの演技力の賜物であろう。
ひきこ降臨06
 
 あるいは下の写真。

ひきこ降臨05
 
これは映画の中盤、初めてニコがその凶暴性を露わにするシーンで彼女がゆかりを凝視するショットだが、髪に顔の半分以上が隠れた中、片目だけが見えている。アニメならよく見かけるかもしれないけど、実写において動きながら最終的にピタリと位置を決めるのは結構難しいのではないか。髪の長さが絶妙なので、顔の隠れ加減、目の現れ具合に、怖ぇよ、怖ぇよ、小宮さん。「本当に思い入れのある役、大切な作品、自分が変わるきっかけにもなった作品」というのも納得だ。また、彼女をキャスティングし、その個性を活かした演出の吉川監督に拍手パチパチ。
  

 再会してすぐに抱いた疑問も忘れ、すっかり意気投合したゆかり達。だがある日、小学校時代にゆかりをいじめた男子に三人で復讐を行い、その模様を撮影してネットに流したところ大人気となる。しかし、三人の復讐ショーは彼女らの個人的恨みの範疇を越え、フォロワーからの依頼に応えて、法で裁けない罪人に復讐する為の復讐代行と化し、次第にエスカレート。動画を観た者も巻き込んだ暴力の連鎖へと発展していく。凶暴な一面を見せるようになったニコ。紀里子は彼女に魅せられたように協力を続けるが、ゆかりはニコについて調べ始める…。

 

 前半は快調な『ひ・き・こ降臨』だが、この「ネットを通じ、観た者を暴力へと掻き立てていく」という展開になると、ぼくにはいま一つピンと来なかったというか、残念ながら話がとっ散らかった印象を持った。

 

 確かに、映画の冒頭で警察の取調べ可視化のためのヴィデオ・カメラ導入の件が描かれ、ニコの復讐動画サイトの立ち上げもきちんと描かれているので、脚本の宮崎大祐は最初からこの展開を意図していたのだと思う。2ちゃんねるやニコニコ動画における匿名罵詈雑言、妬み嫉み、憎悪の嵐もこの設定にある程度のリアリティを持たせているのだろう。ただ、映画の前半における女優さんたちの巧みな演技もあって(小宮一葉さんばかり褒めてるけど、他の二人も頑張っている)、三人の関係性の変化とその行きつく先にばかりぼくの興味が行っていまい、「ネットでの暴力の伝播」が頭に残らなかったのだ。

 

 しかも、復讐ショーの支持者たちが赤いマスクを被って顔を隠し、カメラを構え、まるでニコがカルト教団の指導者のように描かれるとなっては、ぼくにとっては飛躍のし過ぎ、話の展開が唐突で、鼻白む思いだった。

 

 この原稿を書くにあたり、ネットで色々検索していたら、《ひきこさん》とはかつての《口裂け女》と同じ都市伝説の妖女だと知った。「雨の日、白いぼろぼろの着物を着て、人形のようなものを引きずっている女と出会う。よく見ると、女の目はつり上がり、口は耳元まで裂けている。女が引きずっているのは人形ではなく、小学生ほどの子供。女はかつて受けた残酷ないじめに対する復讐として、自分の姿を見た子供を捕らえて肉塊になるまで引きずり回し、決まった場所に放置する」そうな。完全に口裂け女の二番煎じである。

 

 つまり、この作品を製作するにあたって《ひきこさん》を描くという大前提があり、それに「三人の若い女の子の復讐物語」と「ネットでの暴力の伝播」と、という作り手たちのアイディアが加わったのだろうが、残念ながらそれらが巧く融合していなかったように思う。

 

 《ひきこさん》を知ってる若い観客には題名を聴いただけで、右記のような要素がビビッと頭に浮かんでも、知らないぼくにはニコが現実を越えた妖女的存在であるということが映画が終わってからも理解できず、結末での彼女の扱いにも「?」だったし、紀里子をひきずっていく描写なども、少し不思議には感じながら、「でもまあ、ホラー描写としては悪くないなぁ」と思っただけだった。

 

 ということで、ぼくはこの作品の良い観客ではなかった訳で。とはいうものの、前半「怖ぇ、怖ぇよ」と楽しんで観ていた身としては、後半の展開は残念だった。でも、吉川久岳監督は今後注目株かもしれない。■

 
10月13日(月曜日) 暴風雨(台風)のち夕方から少し青空見え

よし! 最近気になっている旧ソ連のアレクサンドル・プトゥシコ のファンタシー映画
  ・『虹の世界のサトコ』 (52年)
  ・『サルタン王物語』 (66年)
  ・『ルスランとリュドミラ』 (72年)
 そしてホームズ・パスティシュの佳作として知られる(ホームズが切り裂きジャックの事件に取り組む)『名探偵ホームズ 黒馬車の影』 (79年 英・加 監督ボク・クラーク)の新品DVDをオークションで落札。

 あと、ロシアの叙事詩「イリヤー・ムーロメツ」をプトゥシコが映画化した『豪勇イリア 巨竜と魔王征服 』 (56年)のDVDを明後日落札できたら嬉しいなぁ。旧ソ連ファンタシー映画の巨匠アレクサンドル・プトゥシコ の作品はやっぱ勉強しておく必要があると思うのよ。

 プトゥシコが美術・特撮・共同脚本を務めた『妖婆 死棺の呪い (魔女伝説ヴィー)』 (67年 監督ゲオルギー・クロパチェフ&コンスタンチン・エルショフ)なんて、やっぱ画作りが西欧人にはない発想で、面白いもん。と、演出というか発想を少し真面目に勉強する気になっているわたし。

 しかし、わしなんか今更プトゥシコ、プトゥシコと騒いでるけど、彼が作った旧ソ連のお伽噺映画の数々は、ぼくのチェコ人仲間にとっては、子供の頃しょっ ちゅう(半ば無理矢理)見せられた作品として印象悪いというか、旧ソ連の国策映画として評価が低いんじゃないのかという気が。今度ズスカに訊いてみよう。

 プトゥシコの『魔法の水車サンポ』 (59年)はフィンランドの叙事詩「カレワラ」の英雄(?)レンミンカイネンものの映画化なので是非観たいけど、日本ではソフトが出ておらず残念。字幕なしでいいのならこちら に。

 「そういやわし、講談社学術文庫版の「カレワラ」の、少なくとも上巻は持ってたよな」と思い、本棚を探したけど見つからず。古本屋に売ってしまったのか。ちょっと残念。
10月10日(金曜日) 薄曇りのち晴れ

 ぼくは芸術に関しては超保守的な人間なので、現代アートというものには全く心が動かない。「フ~ン」と感心はするけど、感動はしない。だいたい何を 見ても「姑息」な感じがする。作り手の「人と違ったことをやって目立とう」とか「見る者のド肝を抜いたろ。感心させたろ」という卑しい心根が見えてしまう のですね。

 とりわけ、映像を使ったヴィデオ・アートなどは「てめえ、電源抜いたるど」とすぐ思ってしまう。自分が人形アニメなんかやってて、こんなこと言うのはなんだけど、電気を使ったものは(極々一部の例外を除き)アートとは認めません。

 旧ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキーは「芸術」を、「見た者の魂を動かし、その人生を変えてしまうほど力を持ったもの」と定義していたけど、そこ までいかなくても、たとえば何時間見ても飽きない、そんな「感動と衝撃」のある現代アートはほとんど見たことないっす。

 なので、現在開催中の国東半島芸術祭に対しては、「せっかく美しく神聖な山の自然の中に、現代人の姑息なアート作品なんぞ置くなよ。終ったらさっさと撤去しろよ」と思ってます。

 ぼくが現代アートで感銘を受けたのは、テオ・ヤンセンのストランドビースト(ビーチアニマル)と、磁性流体を使った児玉幸子さんの作品の二つのみです。この二つには、ホント脱帽しました。

 以下はテオ・ヤンセンのストランドビーストと児玉幸子さんの作品です。(あ、後者はCGじゃありませんから。念のため。「磁性流体」とは、ざっくり言うと「液体状の砂鉄」みたいなもんです)






児玉さんのHPはこちらから。
6月14日(土曜日) 薄曇り

 このところ、「政治的信条があまりに違う異性を恋愛対象として愛することが出来るか」ということについて考えてまして。

 というのも、昔すっごく好きだった女の子が「第二次世界大戦で日本が近隣諸国で残虐非道な行為をやったことは良くないが、欧米列強に対しアジア各国の主権確保のため立ちあがったのは間違ってなかった」と言い出し。

 ぼくはその子の賢さも尊敬してましたから、かなりショックでした。

 ぼくに言わせりゃ「政府が自国の利益を考慮せず、純粋に利他的な精神から他の国のために自国民の命を犠牲にしたなどという事例は歴史上ない」のは明白な訳で。

 「どうしてこの子はこんな愚かなことが言えるのだろう。この先ぼくは彼女を好きでいられるだろうか?」と思い、悩み始めたのです。(毎度言ってますが、ぼくは基本的に「バカが嫌い。愚かさ、とりわけ頑迷さを恐怖する」人間ですから)

 ま、最終的にぼくは彼女からフラれたからいいのですが。

 そんなことを思い出し、考えていたところに、SF作家の大巨匠ロバート・A・ハインライン(映画『スターシップ・トルーパーズ』の原作「宇宙の戦士」で、右翼として知られる)の伝記の第二部が最近出版され。その中で“How Heinlein went from socialist to right-wing libertarian(「如何にしてハインラインは社会主義者からリバタリアンな右翼になったか」)”ということが書かれていると紹介 されていたので、 その偶然にちょっと吃驚。

 因みに、ハインラインの最初の奥さんは社会主義者だったのだけど、二番目の奥さんは軍人で、共和党支持の保守派だったとのこと。きれいに言えば、「愛は政治信条の違いを乗り越えた」ということなのでしょうが、要は女性によって男の政治信条は変わるということですか。