昨年の湯布院映画祭で上映された短編『お兄チャンは戦場に行った !? 』( 13 年 監督:中野量太)のゲスト小宮一葉 さん。彼女がツイッターで、「本当に思い入れのある役、大切な作品、自分が変わるきっかけにもなった作品」とつぶやかれていたので、ファンとしては「そりゃ観ない訳にはいかんやろう」と『ひ・き・こ降臨』 ( 14 年 脚本=宮崎大祐 監督=吉川久岳)をDVDで観賞。内容がホラーということ意外の予備知識は全くなし。
フェイスブックで小学校の同級生たちとの十年ぶりの同窓会を企画したゆかり(秋月三佳)。集まったのは紀里子(サイボーグかおり)とニコ(小宮一葉)の二人のみ。しかもゆかりも紀里子も自分達のクラスにニコという子がいたかどうか思い出せない……という時点でニコが怪しいとわかるのだが、意識して見ると、彼女の撮り方が微妙におかしいというか、怪しげに撮られているショットが幾つもあるのに気づく。
例えば下の写真、画面中央、カメラにドーンと背中を向けている黒髪の塊りがニコ。一見何の変哲もないショットだが、こちらが「ニコは怪しい」と刷り込まれたこともあり、『リング』( 98 年 監督:中田秀夫)の貞子がカメラの方を向いて立っているような感じに思えてきて、本来は単なる後ろ姿なのに、今後の展開の不穏さがジワジワと感じられる。作品の掴みとしてはなかなか巧み。(ただし映画そのものは、草むらに横たわる紀里子のショットから始まり、警察で連続殺傷事件の取り調べを受けているゆかりの描写に移り、先述の再会場面の回想となる)
続く居酒屋でのシーンでも黒髪後頭部ショットは続く。(下写真) 楽しげに話すゆかりと紀里子にのアップが何度も挿入されるのに対し、ニコの表情が見えるショットが明らかに少ない。
そして、不気味描写の決定打が 。
ゆかりが一人喋っている時、彼女はもっぱら紀里子に向けて喋っているから写真①のような、顔が画面右にある少し引き気味のアップになるのは極普通の撮り方だけど、そこに突然、画面中央にドーンと据えられた、これまでなかったほとんどカメラ目線に近いニコの正面アップ(写真②
ゆかりのアップよりも明らかに寄っている。比較として③を入れておく)が何の脈絡もなくスッとインサートされるのだ。
しかもこれが台詞がなく、表情も何を考えているのか読めないニュートラルなものなので、見た瞬間ぼくは(DVDを夜中に一人観ていたこともあり)吃驚仰天。「えっ、えっ、えっ、今の何 !? 」と思わず映像を戻し、確認したほど。吉川久岳という監督の作品はこれまで全く観たことないのだけど、気楽な思い出話の会話の中に突然ヌッと現れた不気味さの描写として、「なかなか凝ったことをやりおるわい」と感心。「これは期待できるぞ」とワクワクした。
その吉川監督のホラー描写を見事に支えているのが小宮一葉さん。この作品における小宮さんの怖さったらない。
例えば下写真のシーン。三人だけの同窓会の帰り、歩きながら楽しげに喋るゆかりと紀里子の半歩後ろにニコ。二人の話に全然関心ないかのように、会話には加わらず明後日の方を向き、しかもこの空ろな目。完全にイッちゃってるというか、死んでるよ。
小宮一葉さんは、『お兄チャンは戦場に行った!? 』や今泉力哉監督の『こっぴどい猫』( 12 年)を観た方ならご存知のとおり、小柄で外見も、声も喋り方も甘くてキュート。だが、右記の二本では気づかなかったけど、一般的な意味での《美女》という観点からすると、白目部分に対し黒目がほんの少しだけ小さいのかもしれない。『ひ・き・こ降臨』では目がウルウルしているようには見えず、笑ってても目が笑ってない。小宮さんの正面アップ、怖いよ。(下写真)
小宮さんの演技力の賜物であろう。
あるいは下の写真。
これは映画の中盤、初めてニコがその凶暴性を露わにするシーンで彼女がゆかりを凝視するショットだが、髪に顔の半分以上が隠れた中、片目だけが見えている。アニメならよく見かけるかもしれないけど、実写において動きながら最終的にピタリと位置を決めるのは結構難しいのではないか。髪の長さが絶妙なので、顔の隠れ加減、目の現れ具合に、怖ぇよ、怖ぇよ、小宮さん。「本当に思い入れのある役、大切な作品、自分が変わるきっかけにもなった作品」というのも納得だ。また、彼女をキャスティングし、その個性を活かした演出の吉川監督に拍手パチパチ。
再会してすぐに抱いた疑問も忘れ、すっかり意気投合したゆかり達。だがある日、小学校時代にゆかりをいじめた男子に三人で復讐を行い、その模様を撮影してネットに流したところ大人気となる。しかし、三人の復讐ショーは彼女らの個人的恨みの範疇を越え、フォロワーからの依頼に応えて、法で裁けない罪人に復讐する為の復讐代行と化し、次第にエスカレート。動画を観た者も巻き込んだ暴力の連鎖へと発展していく。凶暴な一面を見せるようになったニコ。紀里子は彼女に魅せられたように協力を続けるが、ゆかりはニコについて調べ始める…。
前半は快調な『ひ・き・こ降臨』だが、この「ネットを通じ、観た者を暴力へと掻き立てていく」という展開になると、ぼくにはいま一つピンと来なかったというか、残念ながら話がとっ散らかった印象を持った。
確かに、映画の冒頭で警察の取調べ可視化のためのヴィデオ・カメラ導入の件が描かれ、ニコの復讐動画サイトの立ち上げもきちんと描かれているので、脚本の宮崎大祐は最初からこの展開を意図していたのだと思う。2ちゃんねるやニコニコ動画における匿名罵詈雑言、妬み嫉み、憎悪の嵐もこの設定にある程度のリアリティを持たせているのだろう。ただ、映画の前半における女優さんたちの巧みな演技もあって(小宮一葉さんばかり褒めてるけど、他の二人も頑張っている)、三人の関係性の変化とその行きつく先にばかりぼくの興味が行っていまい、「ネットでの暴力の伝播」が頭に残らなかったのだ。
しかも、復讐ショーの支持者たちが赤いマスクを被って顔を隠し、カメラを構え、まるでニコがカルト教団の指導者のように描かれるとなっては、ぼくにとっては飛躍のし過ぎ、話の展開が唐突で、鼻白む思いだった。
この原稿を書くにあたり、ネットで色々検索していたら、《ひきこさん》とはかつての《口裂け女》と同じ都市伝説の妖女だと知った。「雨の日、白いぼろぼろの着物を着て、人形のようなものを引きずっている女と出会う。よく見ると、女の目はつり上がり、口は耳元まで裂けている。女が引きずっているのは人形ではなく、小学生ほどの子供。女はかつて受けた残酷ないじめに対する復讐として、自分の姿を見た子供を捕らえて肉塊になるまで引きずり回し、決まった場所に放置する」そうな。完全に口裂け女の二番煎じである。
つまり、この作品を製作するにあたって《ひきこさん》を描くという大前提があり、それに「三人の若い女の子の復讐物語」と「ネットでの暴力の伝播」と、という作り手たちのアイディアが加わったのだろうが、残念ながらそれらが巧く融合していなかったように思う。
《ひきこさん》を知ってる若い観客には題名を聴いただけで、右記のような要素がビビッと頭に浮かんでも、知らないぼくにはニコが現実を越えた妖女的存在であるということが映画が終わってからも理解できず、結末での彼女の扱いにも「?」だったし、紀里子をひきずっていく描写なども、少し不思議には感じながら、「でもまあ、ホラー描写としては悪くないなぁ」と思っただけだった。
ということで、ぼくはこの作品の良い観客ではなかった訳で。とはいうものの、前半「怖ぇ、怖ぇよ」と楽しんで観ていた身としては、後半の展開は残念だった。でも、吉川久岳監督は今後注目株かもしれない。■