自分の中に

塵と埃があるから

相手の塵と埃に共鳴共振して

不快物質が脳内から放出されて

不快になるんだと

気付いた


脳内から

快楽物質と不快物質が

自身の思考パターンから出て

自分という檻から出れないのがパターン化されているのだと


超訳仏陀のことばから気づきました


すごく

よく分かるので記録として残します

 

 抜粋



誰もが本来の姿は、仏陀のはずです。でも社会生活の中で自我によって引き寄せた穢れによって、その本性は覆い隠されてしまっています。 人は、どんな波動でも周囲から吸収する能力を持っています。しかも、自分で善い波動だけ吸収すれば良いものを、それを的確にコントロールする意志が確立されていないために、さまざまな波動を吸収してしまいます。それは、自我による欲望や鈍性などによって、心に歪みが生じているからです。 真我はいつも警告を発信し続けているのですが、自我はぎりぎりまでそれを無視してしまいます。それでも、最終的には警告に気がつく状況がやってきます。そして、そこでようやく自己を浄化することに意識が向くのです。 「心身共に清らかになりたい。強く安定した心で、崇高な理念に向かっていきたい」という心の内側からの思いが湧いてきた時が、本格的な自己浄化の始まりです。 ただ、こうして自己浄化が始まるのですが、いきなり心の中からいくつかの強敵が出てきます。自己浄化の道に潜んでいる強敵の代表的なものには、怠惰、自尊心、外界の出来事に囚われること、内面の緊張、至高霊へと向かう強い意志の欠如などがあります。 

・怠惰 

浄化のために、まずは聖典を読んで瞑想しようと考えても、「今は疲れているからできない」「明日からにしよう」と、先延ばしにしてしまいます。これは生活全般にも大きな影響を及ぼします。人生では今この瞬間、この機会が魂の行く先を決めます。 

・自尊心

 人はどんな存在、どんな状況からでも学ぶことがあります。でも自尊心は、謙虚に学ぶ姿勢を奪ってしまいます。師や聖典の教えに対して、自分の偏見を通して解釈することなく、深い信頼と共に、真摯に学ぶ姿勢を身に着けることはとても大切なことです。

 ・外界の出来事に囚われること

 外界の出来事に夢中になると、貴重な時間が浪費されていきます。世俗の娯楽、さまざまな情報収集、富や権力……。こういったものに没頭すると、確実に内面への探究心が弱まります。

 ・内面の緊張 

現代社会では、人は仕事や生活の中で何らかの目標を立てて、その達成のために、それを出来るだけ完璧にこなすために、無理をする傾向があります。今の社会では、社会的な目標を持たないと幸せになれないという、間違った思想を植え付けられているからです。そしてそのことが、無意識の領域にまで緊張を作り出します。社会から強要された不自然さは、無意識領域の自然とは相反するものだからです。 人は忙しくしていることにより、心の緊張に無頓着になっていくので、さらに緊張は蓄積されていきます。心の緊張は、内面への探究を阻みます。しっかりと集中することと、ゆったりとくつろぐことは、教えを受ける上で最適な状態を作り出します。 

・至高霊へと向かう強い意志の欠如

 人は、完全な存在として生まれてくることはありません。地上で完全へと向かうために生まれてきます。不完全で生まれてくることによって、成長し、開花し、結実することが出来るように仕組まれているのです。 人として生れたからには、崇高な目的に気づかなければなりません。水は上流から下流へ流れ、花は香りを伴って開花し、火は物を燃焼させます。それと同じように、人は崇高な目的を持って生きることが自然の流れです。人には、至高霊へと向かう意志があらかじめ内蔵されています。 霊的進化の道を一歩一歩確実に歩んでいくためには、「強い」意志が何よりも必要となります。この意志の強さ次第で、優れたヨーガ行者、普通のヨーガ行者、劣ったヨーガ行者に振り分けられます。至高の存在への敬意と信仰は、最も尊い財産です。 

「信心とは、決定堅固にして、退失なからんと欲うがための故にこの心を発す。」(空海/三昧耶戒序) 信心とは、仏を堅く信じて疑わず、二度と元の状態には戻らない不退転の決意を持って起こす心のことである。 人から言われたから信じるというのは偽りの信心です。自らの強い意志で、信じるか信じないかを判断しなければなりません。偉い人や有名な人が言ったからというのは、時に有害になります。 釈迦大師の弟子に、サーリプッタというとても優秀な人がいました。ある時、師が講話している最中に、師はサーリプッタに向かって次のように問いかけました。 「サーリプッタよ、今の私の話を信じるか?」 サーリプッタは、「いいえ、まだ自分の中で消化されていないうちは信じられません」と返答します。 師は「サーリプッタよ、素晴しい心がけだ。智慧ある者は、人の話を鵜呑みに信じてはいけない。まずは心を開いて、よく話を聞いたら、それを自分の中でしっかりと納得いくまで理解することが大切だ。理解し、納得出来たら、信じるがよい」と言いました。自分の中で充分に理解しないうちに信じた場合には、誤解を生じることもあるのです。 どんな信頼できる情報でも、まずは正しく理解することが優先されます。 絶対に間違えることのない大師の話でさえ、「鵜呑みにすることなく、自分の中でよく理解しなさい」という指摘は、あらゆることに繋がります。日常生活のすべての所作においても、よく観察し、洞察することによって、智慧に変えていくことが出来るのです。 「真理は、強い意志を持って最も努力した者のものとなる」 自己浄化のはじめには、まず自分自身にこのようなものが当てはまらないかどうかを確認し、もしもあるならば、一つひとつ克服していかなければなりません。 お茶を飲みたいときには、水を火にかけてお湯を沸かして、急須に入れた茶葉にお湯を入れて、茶器にお茶を入れます。水も火も、そして茶葉も器も、どれ一つ欠けてもお茶を飲むことは出来なくなります。 自分の身体に備わった能力も同じです。一つひとつを最大限に活用することで、最高のパ-フォーマンスが期待できます。すべてが整ったら、あとは善き方向に使うか、悪しき方向に使うかの問題だけです。 良き方向に使えば、身体は飛翔するための翼となり、悪しき方向に使えば、身体は輪廻から抜け出すことの出来ない足枷となります。 「思いは心の食べ物です。心は思いを消化吸収して、身体と魂に分配します」(エドガー・ケイシー1567-2)