自分に霊感があると思ったことはない。チャネラーでもない。

だから、そういうスキルがある人でなければ知りえない情報が「真実」という名前を持っているのなら、そのツールを持たずに来た自分は、自らの力でその情報を得ることは出来ない。

それを欲しいと思ったら、人間とは違う存在と交信できるツールを持っている人と、その言葉に頼ることになる。

そしてその人は、情報源である地球外の存在と、その言葉に頼る。

たとえ複数の存在と交流できたとしても、その存在が語る言葉の真実性を高める結果には繋がらない。

人間は人間でしかなく、高次元の存在の持つ知識も言葉も、オリジナルそのままの意味では理解できないからだ。

それが更に、チャネラー本人の知識、経験、価値観、性格、人種的背景といった様々な個人的要素に左右され、ますますオリジナルからは変質する。

それを受け取る終端である、スキルを持たない私達には、私達に届いたそれらの情報がどのくらい原型を留めているのかなど知る由もない。

分かりようがないのだから、信憑性もなにも検証しようがない。誰にも正答が理解出来ないテストなら、丸付けのしようがない。

行き着く先は、そのチャネラー自身を信じるか否かという問題だ。

誰かを信じるという行動は、真実を求める過程では邪魔になる。

心酔している相手なら、嘘にも気付かず信じてしまうし、憎くて仕方が無い相手なら、発言が事実だとしても聞く耳をもたない。

その意味で真実とは、流動的で一定せず、極めて主観的だ。所詮、その人にとっての真実に過ぎない。

 

それでも、真実は一つしかないはずだ。

感情一つで歪む真実ではなく、この宇宙に生きる生命の全てが逃れられないほどに公平な、絶対に揺るがない事実があるはずだ。

たとえば神様だって、いるか、いないかのどちらかだ。

神様がいると信じている人の見る世界の中では、神様の存在は真実だ。それは個人の自由であって誰にも侵されない。

けれど、宇宙的客観的な事実として神様はいないのであれば、いないという、ただそれのみが真実だ。であれば、いる(かもしれない)という分岐さえ発生することはない。

私はそれを知りたい。主観的真実ではなく客観的真実こそが、私にとって何よりも価値があるものだ。

 

ミナミAアシュタールは、私の求めるものだろうか。誤魔化しや偽りなく、真実のみを語ってくれる存在だろうか。

今はまだ分からない。けれど、そうであるならば、どれほど幸せなことだろう。