3月11日の東日本大震災の日、旦那さんは出張先の韓国から
帰国したものの東京駅から栃木県の自宅に戻れず
停電で真っ暗な家の中、余震に震え当時11ヶ月の娘と二人っきり
心細い思いをしました。
真っ暗で不安がる娘と今晩二人で過ごせるだろうか??
余震もおさまる気配はないしまた大きなのがドカーンとくるかもしれない。
阪神大震災を経験しているのであの時の恐怖がよみがえってきて
とてもじゃないけど冷静でいられない。
そこで近所に住むママ友宅に泊めてもらおうと電話。
繋がらない・・・。
やっぱり迷惑かなぁ。図々しいかなぁと思いながらも
メールをするが回線が込み合っている為、届いたんだかどうなんだか・・・。
しばらくすると玄関で何やら物音が。
恐る恐る出てみると
ママ友が迎えに来てくれてました。
それから娘を連れて徒歩数分のママ友のお宅へ。
ママ友の実家は彼女のお家のお隣なのでご両親も
来ておられ
「お腹減ってるでしょう?おにぎり作ったから食べて!」
となんとも嬉しいおもてなし。
ロウソクの薄明かりの中、みなさんの温かい心遣いにふれ
ほっと一安心。
娘もお友達やじいじとばあばと遊んで上機嫌。
暖かいお布団も用意していただき空いている部屋で娘と休むことができました。
一晩中余震が続きまったく眠れませんでしたが娘と二人っきりで自宅で過ごして
いたらどうなっていたか・・・。
カーテンを少し開け三日月の薄明かりの中、横になっていると
時々大きな余震が来ました。
大きな余震が来る前はピカッピカッと発光するんです。
目を閉じていたので空が発光するのか蛍光灯が発光するのかは不明。
早く朝が来ることを願いました。
もしかすると悪い夢をみていただけなのかも。
翌朝、5時だったか6時だったか自衛隊のヘリがバタバタ被災地に向けて
何機も飛び立って行きました。
やっぱり夢じゃなかったのか。
朝が来ても停電は続いていました。
朝食は昨夜のおにぎりの残りをママ友と彼女の旦那さんと3人で食べ
娘達は加熱しないで食べれるレトルトの離乳食を。
昼食は彼女の旦那さんが買出しに行ってくれましたが
ほとんど品切れだったそうです。
カセットコンロでお湯を沸かしカップラーメン2個を3人で分けていただきました。
先に娘達に食事を与えたので麺がのびのびになっていましたが
みなで肩を寄せ合い食べた味は格別でした。
夕方ようやく電気が復旧し夕食の準備のため帰宅。
またいつ停電になるかわからないし時折大きな余震が来るため
大慌てで夕食を作りました。
旦那さんは夜9時頃には帰って来れそうと聞き少し安心。
それと原発が爆発したから家中の空気口は全てふさげ!
換気は消せ!と指示が。
この忙しい時にっ!
空気口は踏み台を持ってきて必死にふさぎました。
夕食も申し訳ないけど心細いのでママ友宅におじゃましました。
私が持参した夕食を出すと
彼女は私と娘の分まで作ってくれてて
「作って来なくてもよかったのに!」
と言ってくれました。
おまけにお風呂も勧めてくれましたが
自宅で入るのでと遠慮しました。
彼女の旦那さんが見ているニュースの映像をみて
初めてえらいことになっていることを知りました。
夕食も喉を通らずなんだかどっと疲れが・・・。
自分て本当に弱いなぁと痛感しました。
娘を持つ母親が気弱でどうするか!
戦時中のお母さん達はどうやって気丈に振舞えたんだろう。
私の旦那さんがもうすぐ家に着くというので
ママ友と彼女の旦那さんに床に頭をすりつけお礼を言い
我が家へ。
次の日、旦那さんと関西の実家へ帰省することを決め
しばらく留守にするので我が家の冷蔵庫の中身を彼女宅に運び
大慌てで電車に飛び乗りました。
余震でもしかしたら電車が動かなくなり野宿かも・・・
なんて不安いっぱいでしたが思いのほかスムーズに
無事に帰省できました。
彼女や彼女の旦那さん、ご両親には本当に感謝してもしきれないぐらいお世話になりました。
いやな顔ひとつせず受け入れてくれ色々気遣いをしてくれありがとう。
帰省してからも心温まるメールを何通もくれました。
逆の立場だったら私は彼女みたいにできなかったと思います。
今後、娘にはあの時のご恩を何度も話します。
娘も震災を経験した子供達も被災地以外の子供達も
これから先、いろんな経験を積んで人の痛みがわかる
思いやりのある人間に育ってほしいです。