今日はマヤ神聖暦で『祖先 1』(祖先周期)
何年か前に、毎朝占筮していた時の写真w
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私がいつも学んだり読んだりしているマヤ神聖暦は、占術でいえば「命術」です。
生年月日という不変なものを基にして、運命の流れを読んだり人の特性をみたりするもの。
これはある程度決まっていて(人の性格や宿命などはコロコロ変わりませんよね)、長いスパンを読むのに適しているけど
例えば「目の前の‟この問題”をどうするか」といった問い対してはちょっと弱いかな?
もちろん、「今のあなたはこういう‟時”だから」という読み方もできるけど
「右か左か」「進むか退くか」という問いにはあまり適さないかも…と思います。
そういう、「目の前の‟この問題”をどうするか」という問いに最適なのは、やっぱり卜術ですよね。
タロットとかトランプとか易とか…おみくじもある種「卜術」。
偶然の中にある必然を読み解くもの と言えば良いのかな?
私の場合の卜術はやっぱり易で、真剣に問いに向き合う時は筮竹を手にします。
界隈では(←どこ?w)、私の‟時空さん”は「手厚くて親切」と評判なんだけど(笑)
これが本当にちゃ~~んと教えてくれるんですよね(笑)
先日も、初詣のおみくじの「凶」から始まったある問題について、問いを時空に投げかけたところ
得たのが励まされるような卦。
その時はまだ問題の真っただ中で、解決の糸口も見えていなかったけど
その卦を見た時に、「これは大丈夫」って確信したのです。
そーしたら…、しばらくして見事にそういう(大丈夫な)流れになっていきました
その後の産土さんのおみくじも、「きっと大丈夫」と思えるメッセージだったしね
‟マヤ暦メソッド”を学んでいた時に
「易は吉凶がハッキリするから、あまり深く学ばない方が良い」
って言われたことがあって
でも、その時は易経についてほとんど何も知らなかったから
「吉凶がハッキリするなんて、怖~~い」なんて思っていたけど…
今思えば、「吉凶がハッキリする」の真意が全然わかっていなかったんですよね。
まず、そもそも「吉凶がハッキリする」のは、その「問い」に対してであって
運命全体を肯定されるわけでも否定されるわけでもないというのがわかっていなかった
「進んでも良いですか?」という「問い」に
「進んで大丈夫!」というのが「吉」で
「進んだらダメ!」というのが「凶」。
「進みたいとか言うあなたはバカ」と、全人格否定されるのが「凶」というわけではありません(笑)
「進む」ということに対して「可」か「不可」か ってだけ。
「可」だったら、自信を持って(でも油断はダメw)進めばよいし
「不可」だったとしても、「今」「その方法で」「進む」のが「不可」ってことだから
じゃあ時期を見直すとか、別の方法を探るとか、対処をいろいろ練ることができる。
しかも、「凶」を見ることで「覚悟」や「注意」もできるしね。
ある意味「凶」って知らせてくれるのは、優しさだと思うのです
なので私は易経(卜術)学んで本当に良かったと思っているし
吉凶をハッキリ教えてくれる‟時空さん”には信頼と感謝を抱いています(笑)
個人的に、年始めからかなりの負荷があったけど卜術に救われたし
今思えば、マヤ神聖暦(命術)的には今回の『シカ』の周期
『シカ』のナワールの私の中の「労働」のスピリットを超揺さぶる時だったのかも(笑)
私、他人を占うことはしないけど
自分自身のために命術・卜術学んで良かったって、心からそう思っています