今日はマヤ神聖暦で『トカゲ 9』(コンドル周期)

絶妙な距離感だったなぁ…。
物言わぬこの子たちの愛は、心を癒してくれます。
 
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私は、ヒステリックな応酬がニガテです。
(まぁ…ほとんどの人がニガテだと思うけど)
 
と、いきなりの告白をした上で、独り言スタートw
 
 

 

公私問わず、国内外問わず

問題があれば、それに向き合うことは絶対に必要だと思っています。

 

その上で、例えば、倫理的な正義とか人道的な見地とか

守られなければいけないことがあるのももちろん理解しています。

 

 

でも、それとは別に、「価値観」というものは画一ではないし

「正義」も、立場によって相違が生じる場合も多いと思います。

 

 

人はそれぞれ違うのだから、「価値観」の相違があるのはむしろ当然だし

国家や立場や個人における「正義」も普遍ではないけれど

それによって、まるで言葉の殴り合いのようになったり

実際に武力行使(言葉という武器も含む)になるのが本当にニガテだし、見ていて苦しいです。

 

 

って、こんなこと言ってる私は決して繊細な人間ではないですよ。

むしろ大雑把で鈍感だったりします。

それに、私だって、怒りに任せてヒステリックな言葉を投げつけてしまうこともあるし

精神的殴り合いのような状況になることだってあります。

 

 

だけど…

それにしても…

ここ最近の国内外で起こっている様々なことを見るのがつらい。

本当に怖いです。

 

 

そんな時、ふと頭をよぎったのは

「太古から今に至るまで、全人類が一人残らず、同時に‟幸せ”を感じた時ってあるのかな」

って疑問。

 

誰かが幸せな時に誰かが妬んでいたり

誰かが成功した時に誰かが羨んでいたり

誰かが笑顔の時に誰かが泣いていたり…

 

この世の誰もが一人残らず幸せの笑顔でいられた時って…きっと今までは無かったよね…。

でも、この先に果たしてそんな時って来るのかな。

 

 

この世は陰と陽の二元論で、‟全部が陽”も‟全部が陰”も無い。

陰陽があるからこそ、この世は動き、循環しているのでしょう。

陰も陽も無くてはならないもの。

 

だからこそ、「対立」ではなく「調和」が必要なんですよね。

 

 

これぞまさにマヤの思想の根幹である「二元論」と「調和」。

 

 

人と人、人と物、国と国…だけではなく、あらゆるものの「調和」を目指すマヤの思想。

二つの異なるものが調和することで、新しいものが生み出されるという思想。

 

どちらかに飲み込まれるのではなく「調和」なんですよね…。

 

 

 

あらためてすごい思想だなぁと驚きました。

 

 

 

だけど…その「調和の思想」を持っていたマヤ人・マヤ文明も衰退に向かってしまったのだから

「調和」って…人類の永遠の課題なのかな。