今日は、マヤ神聖暦で『祖先 5』(コンドル周期)
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昨日は忌野清志郎さんのご命日だったんですね。
OL時代に、先輩にRCサクセションの大ファンの方がいて
でも、その方のイメージとRCファンっていうイメージのギャップがありすぎて
清志郎さんやRC思い出すと必ずその先輩を思い出してしまう…(笑)
忌野清志郎さんのマヤ神聖暦のサインは、『コンドル 2』(ワシ周期)
今、ちょうどコンドル周期だから余計気になっちゃったのかな?
『コンドル』は開放的で、様々なことに立ち向かうタイプでありながら
実は、心の奥底までは誰にも明かさないという面もあります。
なんか…私の持つ清志郎さんのイメージに通じるように思えるなぁ…。
でも、さらに気になったのが清志郎さんが亡くなった日のサイン。
清志郎さんが亡くなった日のマヤ神聖暦のサインは、『サル 1』(サル周期)
これを見て…すごく‟らしい”と思ってしまったのですよね。
『サル』は始まり。
そして芸術を志すと言われるサイン。
ここからはめちゃくちゃ勝手な、私の個人的な見解なのですが
清志郎さんが『サル 1』の日に亡くなったというところから
もしかして…人の本質って、ホントは亡くなった日のサインに表れるのかな。
というか、亡くなった日のサインが本当のその人のサインで
それは亡くなるその日まで誰も(本人も)わからなくて
そのサインを成就するためにこの世に生まれてくるのかな。
その、成就するための補助エネルギー(?)が
今、自分が認識しているサインなのかも。
だから、私は『シカ 10』だけど
本当のサインは私が死ぬまでわからなくて
そのサインの在り方を成就するために『シカ 10』の力を借りてるのかな。
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なんて考えちゃった。
例えば、身近な例を考えると
父は『ワニ 8』の日に亡くなり
親友は『香 1』の日に亡くなりました。
生きている時のサインは、父は『祖先 11』で
親友は『祖先 6』だったけど…
本当の父は『ワニ 8』で、それを成就するための『祖先 11』
本当の親友は『香 1』で、それを成就するための『祖先 6』
だったのかも…って考えると…
なんかーーーーーーーーー
そうかもって思えちゃうんだよーーーー
まぁ、こんなこと言いだすと「頭大丈夫?」ってなるしw
マヤ神聖暦で読み解くってナニ?ってなっちゃうけど(苦笑)
亡くなった日のサインは、あちらの世界に転生(?)してからのものじゃなくて
実はその人の本質が最後に明かされるもの…なのかも…しれない…ような…気がしたり…とか…
でも、もしよかったら
ご自身の身近な方の亡くなった日のサインを考えてみて、検証してみてほしいです。
すみません
トンデモ記事みたいな今日で