ボーッとしていたらカレンダーもあと三枚( ¯ω¯ )

 

 

水道の水は冷たく感じ、やかんの麦茶はすぐ冷える。

素足で歩くフローリングはヒンヤリ。秋祭り、神輿を担ぐ声。

 

季節の変化が愛おしくなります落ち葉

 

なーんかシアワセひらり

 

 

夏の間、伸びっぱなしだった髪を切ってもらい

いつものショートボブで帰宅すると・・・

 

「あ!お母さん りんご飴みたい笑い泣き

オイ息子!笑い過ぎ!!

 

言われてみれば・・・似てるringoame*

ま~るい輪郭に外ハネ感ringoame*

「・・・おおおぉぉ・・・」

 

 

そんな、りんご飴の両親・・・

私の両親はすでに亡くなっていて、血液型も星座も亡くなった月も

同じ二人。

 

 

「おろそうと思って病院に行ったら、(もうすぐ動き出しますよ

うちの医院ではお断りします)って言われて仕方なく

家に帰ったんよ」

 

母に聞いたのは小学生の頃だったと思うんですよ。

当時りんご飴の家ん中は色々ありすぎて、

母の話にも大して驚かないで聞いてたように記憶してます。

「わたしはイラナイ?」

と受け止めてました。

私には上に4人の兄姉がいましたので、経済的に困難になる、

そんな理由だったと思います。

 

父と母は対照的、ポジとネガって感じでした。

父は社交的でおしゃれ、

慰安旅行の写真は笑顔で女装して踊る父の姿。

母はいかに質素に暮らすかをテーマにしているような女性

いつも伏せ目で、薄化粧。

 

社交的がドを超え、浮気疑惑?が絶えない父に

当てつけるようにイヤミに暮らす

愚痴の宝庫の母の味方をして、10代を過ごしました。

 

社会人になり父への見方が変わった私。

適切なアドバイスに何度も驚き救われました。

 

・・・?母の話と随分違う。

そんなに悪い人でない・・・ショボーン

 

もちろん母の愚痴祭りは年中無休でした。

 

愚痴の内容は30年前のコトを昨日の出来事?と思うほど

心を込めて話してくれます。

父への愚痴・他人の悪口は加速するばかり。

 

愚痴をやめて、過ぎたことは考えないようにしよう!

そう提案するも、効果はなく・・・

 

 

父はガンの全身転移で厳しい状態でしたが、

病院のベッドでも冗談ばかり言い。

息子とのタッチする笑顔がいつも印象的でした。

アッパレな最後でした。

 

母は対照的な最後の姿でした。

 

ずーっと淋しかったのかな。

父に愛されていたかったのかな。

素直になれない世代だから仕方なかったのかな。

 

母の思いは私には分からないケド

父のことが好きだったことは間違い。

 

両親からたくさん学びました。

 

 

「私はどうしたいの・・・?」

 

 

厳しい環境、やり切れない思い

ざわつく感情・・・

そのおかげで、私が求める方向も生まれました。

 

どこから来てどこに向かっているのか道

 

 

もちもん沢山の方々との出会いのお陰ですが、

両親が全力で見せてくれた事に感謝していますkira2

 

 

 

(もうすぐ動く、お腹にいる赤ちゃんをどうしよう・・・)

帰れずにいる母に看護婦さんが話してくれたそうです。

 

「○○さんの赤ちゃん、お母さんが気づかない間に

妊娠して体に負担かけないで育ってたんやね、

そんな子を(めくらご)って言うんよ。

そういう子は偉い子に育つから安心して産んであげて」

 

その言葉のおかげで、私は生まれてこれました

看護婦さんとの話しを何度も聞かせてくれた母。

そんな言い伝えがあるのか?

分かりませんが

看護婦さん、ありがとうございましたふんわりウイング

 

 

父と母の転生が豊かなものになりますように。

次は愛をいっぱ~い表現できますように。

 

 

またいつか二人に会えますように。

 

 

亡くなって一年後・・・

一度夢に現れた父は未来型バイク?らしい乗り物に

またがり、空に浮かんでました。

若く生き生きした姿で

「○○(私の名前)は長生きするわ~!!」

と言い残してバイクで飛んで行きました(笑)

若い時は裕ちゃんそっくりだった・・・と自慢してたけど

オトンめっちゃ盛ってたんやぁ笑い泣き

 

さあ星私は

りんご飴に見えないヘアーアレンジ考えまーす( ̄▽ ̄)星