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Lanimental

守るべきもの。

私は母親が嫌い。


私には姉がいる。

私を含めて5人兄弟。

母親は、私に

「もぉ、女の子はいらなかったのに」

と言う。


それを裏付けるかのように、

母親からのイジメをうけていた。

と言っても、イジメ・虐待と認識したのは

大人になってから。


母親から産まれたことに感謝するべきなのか・・・

いつも考える。

望まれない誕生であっても、感謝するべき・・・?


母親との楽しい思い出は、ほとんど無い。

思い出すのは、イヤなことばかり。


小3のとき、学校の視力検査に引っかかり、

病院で再検査を受けるようにと、

再検査表をもらい、母親に渡した。

「目が悪い?そんなワケないしょ。

目が悪い家系じゃないだからね!

メガネとかしたくて、ウソ言ったな?」と言ってきた。

再検査は受けることができないまま・・・

嘘つき呼ばわり。


小4になり、また視力検査に引っかかる。

再検査表を恐る恐る渡す。

「また?なんで、そーやってウソつくのさ!」と激怒。

もちろん、再検査は受けさせてもらえない。


この頃、どんどん視力が低下していたらしく

授業が始まると、具合が悪くなって毎時間のように保健室へ・・・。

それを見兼ねた保健室の先生は、

姉の懇談に来ていた母親を呼び出し、

「愛情不足ではないでしょうか・・・保健室で私と話していると

具合が善くなるみたいです」

と話したらしい。

母親は、帰ってくるなり私を見つけ

「あんたのせいで、恥かいた!

先生に何て話してるのさ!」とまた激怒。


この時、すでに母親とは確執ができてた。

親に相談や悩みを話すことは無くなった。


小5で、視力再検査表・・・。

一応、渡す。

やっぱり激怒。

「病院でハッキリさせるよ!」と、やっと病院に連れてってもらえた。

病院での検査が始まり、見えないところは「見えません」と答えた途端、

背後にいた母親が「ウソをゆーんじゃない!見えるしょ!」と・・・。

さすがに医者が、母親に「お母さんは、外に出ててください!」と一喝。

で、結局、診断結果は身体の成長に、目の成長が追いつかないために

視力が低下していたとのこと。

遠視。

母親も診察室に呼ばれ、医者が結果を伝えた後、

「これだけ視力が低下していたら、生活にも支障でているハズですが

大丈夫でしたか?」と母親が聞かれていたけど、答えられるハズもなく・・・

そそくさと処方箋をもらって、メガネを買いに行くことに。


メガネ屋さんに到着するまで、ブツブツと文句を言われ、

メガネを買ってもらったことに感謝してくれと言われ・・・。


その後も、何をするにも自分で何とかしようとした。


高校受験

バイト

授業料

交通費

結婚

離婚・・・。


母親に相談しても、「私に聞かないで!」といわれたことがあったから

相談しないとゆーか、できなかった。


でも、母親の愚痴や文句は聞かされる。

私が19歳のとき、母親が子宮ガンで数ヶ月入院することになったとき、

姉は嫁いでいたし、身の回りの世話をするのは私だけだった。

父親もいたけど、母親が父親を嫌い、

数年前から家庭内別居状態だったため、オレの代わりに頼むと一言。

自分の感情を押し殺して、家事や、母親の身の回りの世話や、

兄弟と父親の食事など・・・私なりにやっていた。


誰かに甘えることを知らずに大きくなった・・・と気づいた。


その後、結婚して、出産して、間もなく離婚。

私が離婚する、数ヶ月前に私の両親が離婚。

そのとき母は、「あんたに離婚届の書き方教えてもらうわ」と。

親として、何も教えてくれない母親に

離婚届けの書き方を、私に教えろと・・・?

全く理解できない。

親子で離婚してから、私は2歳の娘を連れて

結局母親と一緒に暮らすことに。

その時、母親は

「子供も小さいんだから、看てあげられるし

一緒に住もう」と言ってたけど、結局は

一人で何も出来ない人。

昔からそぉ。

何でも、父親まかせ。でも、何かあると、文句は人一倍言う。

父親が全部悪いとか、出戻りしてきた娘が邪魔とか・・・

母親の兄弟に話してた。

父親は離婚して正解だと思う。


そんな母親と、仕方なく同居。

私しか免許を持っていなかったけど

車がないと不便と思い、母が勝手に車を買い、

私の名前でローンを組み私が支払う。

なぜか年末になるとキレる母。

あまりに突然すぎるから、対応するのに数年かかった。

私の娘が4歳のころ、年末の用意のことで話していたとき

またまたいきなりキレた母親が

私に飛び掛り、髪の毛を握り、振り回された。

なにが起きたか分からないけど、娘もびっくりして泣いてるし

母親を制止して、娘を抱いた途端、後ろから何か色々投げつけてくる。

私と娘は泣きながら、友達んちへ避難。


さすがに悔しい。。。


まだまだ、色々あった。

もう限界。

娘と二人暮しするから、出て行くことにした。


出て行くことを話すと、母親は

「あんたには(二人暮しは)無理だね!」などなど。

仕舞いには、

「あんたから、親に対する愛情を一切感じたことない!」と言われた。

「本気で言ってるの・・・?」と聞き返しても

「本気だ!あたりまえでしょーが!」と・・・。


私の娘は、号泣。

私は失語症になってしまって。。。


家を出てから、数年経つけど、

あれだけ啖呵きった母親が、何かと頼ってくる・・・

毎回毎回、腹が立つ。

本当に腹が立つ。


それでも、母親に感謝するべきなのか。。。


*aika*

いつから恋愛をしてないのかぁ。。。


何もかもが、あのときで止まってる


「結婚は出来なくても、彼氏はつくりなさい」


と言われた事を思い出した。


結婚だけが幸せではない・・・けど、

人を愛することは自分を愛することになるって。


言われた時は、あまり理解できなっかたけど、

今なら、わかる。


10代・・・誰かを好きになるだけで幸せだったキャハハ

20代・・・誰かと愛し合うことで幸せだったハート

30代・・・誰かを幸せにしたいと思うようになったにこ

40代・・・一緒にいて幸せを感じる人といれたらいいなハート②


と思う。


この先、どぉなるかなんて、誰にもわからないけど

この先、どぉしたいかは、決められる。



*aika*