昨日1月14日午前3時50分

母は亡くなりました。

眠るような、安らかな最期でした。

たくさん頑張った母は、やっとゆっくり眠ることができると思います。

皆様、今まで母を応援してくださってありがとうございました。

闘病中の方は、母のぶんまで元気になってください。きっと母も皆さんのことを見守っていると思います。




昨夜は、たくさんの人が母に会いに自宅へ来てくれました。

母を想い、千羽鶴を作っていてくれた方もいました。

母がたくさんの人に愛されていたということがわかり、驚くとともに感動しています。

母は、幸せものです。

幸せな人生だったと思います。

これからは、私が母のかわりに家族を支えていこうとおもいます。



皆さん、このブログを見てくださって、本当にありがとうございました。
今日も病院行ってきました。娘です。


昨日は、顔面蒼白、苦しそうな呼吸。
母の前では泣かないと決めていましたが、泣くのをこらえることが出来ませんでした。


今日は、昨日とは別人のようでした。
顔色もよく、唇も赤く、尿も順調に出てきています。

そして、今日は母が一番会いたかったであろう人が会いに来てくれました。

声をかけられると、今までは焦点があっていなかったのに、しっかりと目を見て確かに返事をしました。

目には涙をうかべて、首を縦に動かして、ちゃんと返事をしました。

それまではやはり辛そうな表情でしたが、帰る頃にはいつもの前向きな母の寝顔でした。

もしかしたら、このまま元気になるのかもしれません。

そう思えるくらい、変化がありました。

明日はどうなるかわかりませんが、もう少し、このまま期待したいと思います。




前回の記事を更新したあと、たくさんのコメントを頂きました。ありがとうございます。

皆さんのコメントを見て、私まで励まされました。

そして、母は皆さんに応援していただいて幸せものです。

皆さんに応援して頂いたこと、早く母に伝えたいです。





この数日、まるで数ヵ月たってしまったように感じます。

母は本当に強い人です。
私も母をまねして強くならなくてはいけません。がんばります。




なかなかうまくまとまりませんが、はやく報告がしたかったので、このまま更新します。
いつもブログを見ていてくださる皆様

はじめまして。娘です。

現在、母はブログを更新することができない状態のため、私がかわりに書いています。



母は、1月5日、6日と痛みを訴えて救急外来を受信しました。

そして、6日の夜中に入院となりました。

尿路感染とのことです。



次の日の7日は、うとうとしながらも話しができる状態でした。

母に会いに行った時も、また明日も会いにくるよ。明日はテレビが見られるようにイヤホンを持ってくるね。と言い、病院をあとにしました。


そして、8日。
午前中に泌尿器の処置、説明があると病院から連絡があり、母のもとへ向かいました。

病室に入ると、昨日とは別人のように衰弱した母がいました。

泌尿器科のドクターの話によると、尿管に腫瘍が浸潤し、尿が出なくなってきていると。

そのために背中から管を入れる処置をしたいけれども、貧血がひどく、リスクが大きく処置を行えないと。

そして、このままでは1か月もたない。
緩和ケアを行いましょう。と言われました。




正直、残された時間は長くないと覚悟していましたが、まさかこんなに短いとは思いませんでした。




母はいつでもどんなときでも前向きに頑張って治療を続けてきました。

ダブルストーマになったときも、文句ひとつ言わず受け入れました。

家族のために元気にならなくてはいけないと、本当に頑張りました。

それなのに、どうしてこんなに早く終わりが訪れようとしているのでしょうか。

ずっとそばで見てきました。

辛いときも弱音を吐かず、ひたすらに頑張っていたんです。

悔しいです。がんと言う病気が本当に憎いです。



母は、今意識もうろうとし、話しかけたことにたいして返事をするのがやっとです。

見ていると本当に辛いです。






なぜ私がこのような記事を書いたか。

それは、このブログを見て母を支えてくださった皆様がいるからです。

母に励ましのコメントをくれた皆様に、事後報告だけで済ませることはしたくありません。

母の頑張りを、皆様に伝えたかったのです。

私たち家族は、最後まで支えていきます。



うまくまとまらないですが、母を支えてくださった皆様に、娘として少しでも感謝の気持ちが伝わりますように。