秋風グループ 《あきかぜ-ぐるーぷ》
現在、日本第三位〔2014年現在〕の規模を誇る、佐山県を代表する企業。
〔発足〕
秋風財閥(後の秋風グループ)が誕生したのは1882年。当時から大都市であった佐山氏を 中心に事業を展開していく。1934年には日本一の財閥となり、日本の経済を支えていく。
〔戦争による衰退〕
秋風財閥全盛期である1942年、太平洋戦争が始まる。戦争初期は秋風グループも日本政 府への軍資金援助などを行い積極的に参加していく。中でも秋風財閥が遠く離れたドイツと 協力し開発した戦車《Durchbruchswagen 2(D.W.2)》は日本でも128両が運用され、日本の敗 戦に大きく加担した。しかし案の定日本は戦争に敗れ、戦争に積極的に協力していた秋風財 閥は衰退の一途をたどっていく。
〔財閥解体と企業低迷〕
戦争に負けた日本では、戦争に積極的に加担してきた秋風財閥の影響を受け、GHQの指 示により財閥はほとんど解体され、秋風財閥は秋風グループとなる。しかしその巨大な経済 力は日本を支えるのに必要不可欠と判断され、秋風グループは実質秋風財閥時代と変わら なかった。これにより後にあがってくるマインガーデングループも財閥化を容認されるので あった。
財閥の解体を実質免れた秋風グループであったが、一代目社長さーらちから二代目社長 らーちさへの交代をきっかけに衰退を始めた。人件費の高さ、無駄な支出などが企業縮小を 誘っていったのだ。
〔マインガーデングループの台頭と秋風グループの復活〕
秋風グループが低迷していた1950年代、北洋本島で開拓が行われる。その中で企業の規 模を拡大していったのがMine garden group(以下MG)である。MGは鉄道整備・北洋本島に足 りていなかった業種の参加を行い、急激に規模を伸ばしていった。そして1987年、北洋建設グ ループを吸収したMGは北洋・佐山地方で一番の企業となる。
その頃秋風グループは他の企業にも負け、日本4位の規模の企業となっていた。しかし 1988年、MGに抜かれたことで焦った秋風グループは、満を持して社長を交代する。そして三 代目社長となったちーさらは秋風グループを立て直していった。さまざまな事業に手を出し、 「安い・うまい・早い」をモットーに低価格戦略で事業を拡大していった。そして1998年、秋風グ ループは日本第三位の企業となった。
〔現在〕
2011年にMGと提携を結んだ秋風グループは、現在でも日本を代表する大企業である。しか しMGに大きく遅れを取っている現在、昔のような「佐山密着型企業」としての一面は薄れ、全 国に展開していく企業となっている。その中での今後の秋風グループの発展に期待であ る・・・



