東口本宮冨士浅間神社 | 千囃連のブログ

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8月ぶらり旅

神奈川県を抜け静岡県に入ります

 

向かった先は東口本宮冨士浅間神社

 

平安時代初頭、桓武天皇の時代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火した。当時の国司・郡司(朝廷の役人)は、恐れおののく住人のために鎮火の祈願を行うべく、富士山東面・須走の地に斎場を設け、鎮火祭を斎行した。
すると、同年4月初申の日に噴火が収まった。この御神威を畏み、報賽するべく、平城天皇の時代・大同2(807)年に鎮火祭跡地・現在の御社殿の地に神をお祀りしたことが、当社の創建と伝えられる。
創建後まもない平安時代には、弘法大師(空海・真言宗)が当社にて修行を行い、富士登山をしたという伝承も存在したことから、かつて中世期頃までは弘法寺浅間宮と称されていた。
室町時代後半(戦国期)・江戸時代には、一般庶民による富士山登拝信仰・富士講や修験道者の信仰を集め、須走口登山道・須走の宿場町とともに栄え賑わった。
この頃より、須走口登山道の9合目・迎久須志之神社、6合目・胎内神社、5合目・古御岳神社、4合目・御室浅間神社、2合目・雲霧神社は当社の神主により祭祀が行われていた。
明治時代に入ると、明治政府による国家神道の方針の下、全国神社は国家の管理下におかれ、当社は県社(静岡県が管理する神社)の社格が授けられた。
大正時代から昭和時代初頭は富士講による登山参拝者が最も増えた時期であり、当社に点在する講碑群はそれぞれの講社により建立・寄進されたものである。
現在では、富士山本宮浅間大社(富士宮市・富士宮口)、北口本宮冨士浅間神社(富士吉田市・富士吉田口)等と共に、富士山登山道の麓に鎮座する神社として、崇敬を集めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御朱印

 

 

 

 

 

 

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