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ブログネタ:【ピグ限定】今年もう桜は見た?
参加中
花粉症に慣れてきたと思ったら、もう桜の時期だね。
歳とると時間の経つのが早いことってぼやいてないで、お題の見たって聞かれれば、オヤジ今年も見ましたよ。
うちの近くの川沿いに並木があるんだけど、先週末歩いてきた。
今年は開花が早かった割に永く楽しめるってことらしいけど、その通りだね。
全体には、2-3分ってとこかな。でも中には、毎年魁になる橋の横の桜は既に満開だった。多分、今週末あたりが一番の盛りかな。
前も、どこかで書いたような気がするけど、タイトルの和歌の西行法師、桜といえばどうしてもこの人を思い出してしまう。実際亡くなったのもこの歌に詠まれた頃だったっていうから、やはり桜ってのはほかと違う魅力っていうか魔力があるような気がする。特に夜桜みてると魂が吸い込まれるような、月と共通するものがあるな。
そして桜といえばもう一首、
世の中にたえて桜のなかりせば・・・だろうね。オヤジは一時期これも西行の歌だと思ってた時期があったんだけど、実際は今やスカツリご近所で有名な業平橋の在原業平の歌なんだね。言われてみれば、サラリーマンでいう遠隔地異動で拗ね気味な心からの切り口がこんな歌になったのかもね。
ってことで、今年はのどけからましくない(変な日本語)日々が例年より長く続くかもね・・・
最後は惟喬親王の歌で、
散ればこそいとど桜はめでたけれ、うき世に何か久しかるべき
ブログネタ:好きな名古屋飯
参加中
一応東京出身だけど名古屋にも長くお世話になっているオヤジとしては、すんも(だっけ)のお別れも兼ねて、このネタは外せない訳です。
で、ご質問の「好きな名古屋飯」、一番は味噌煮込みうどん・二番は味噌カツ・
三番はミニシロノワールってことで。
ここからは、オヤジの「名古屋飯」私考になるんだけど、その特徴はっていうとよく言うと「質素な食生活を知恵で豊かにする」、オヤジ流にいうと「ケチが貧乏くさい食材を味の濃い調味料で料理して旨く見せかける」ってことかな。
味噌煮込みうどんを鍋焼きうどんと比べて考えるとよくわかると思うんだけど、鍋焼きうどんにはえびの天ぷらがあうけど、味噌煮込みうどんには天かすがあうってこと。独特の赤味噌うどん汁は高級な食材を必要としないインパクトがあって、だからうどんもそれに負けないコシの強い麺な訳で、基本的にはこのふたつがあれば、ひなびた鶏肉とねぎのきれはしでも充分食べれるんだよね。だからといって最近の名古屋コーチン入りとか牡蠣入りとか松茸入りとかを全否定してる訳ではない、それを美味しいと思う人もいるかもしれないし。でも、それは名古屋飯の特徴からは外れるよねってこと、オヤジ的にはね。
あと玉子入りだけど、あの味噌がちょっとって人は食べないに越したことはないけど、食べなきゃいけない時は玉子をくずすだけで大分味が中和される。オヤジは逆に味噌の味を変えたくないで、ごはんを一緒に頼んで、玉子をごはんの上に慎重に移し(これがまた楽しい、うまくいったときは)若干の汁を加えて、味噌玉子かけご飯、これに某老舗の白菜のお漬物で、うどんを食べたあと締める、これがまたいい。
味噌カツも、元はといえば屋台の安い串カツに土手煮(名古屋では単にドテ)の汁につけたら旨かったってことで、オヤジ的には安い脂身たっぷりのとんかつこそ味噌で食べてほしい。ヒレとかロースとか素性正しいとんかつなら最近流行の塩か和辛子で充分、味噌なんかもったいないと思う。
シロノワールについては、今やコメダ珈琲店がナショナル・チェーンになったのでご存じの方も多いと思うが、デニッシュぽいパンにソフトクリームとメープルシロップ、サクランボという至ってシンプルなデザートだけど、見た目・豪華風でつい食べたくなる代物。ただし、オヤジはミニで充分・・・
数年前、東京のうちの近くコメダが出来て、行列が出来ていたのにはびっくりしたが、コーヒーが名古屋よりやや高いのにいまだに盛況らしい。
さて、最後に「海老フライ」、別に名古屋飯ではなかったのに、タモリの「海老ふりゃー」以来、なんか名古屋、最近では知多の某料理チェーンが「大海老フライ」とか完全に名古屋飯カテゴリーにしちまってる。
ただ、オヤジ的には「海老フライ」は「おごっそう」という名古屋ことば、つまり「おごちそう」というジャンルには入っているので、その意味では名古屋的かもしれない。
「海老フライ」や「茶わん蒸し」が料理に加わると「今日はおごっそうだがや!」と必ず誰かが言うそういうことである。
以上、名古屋人には完全になりきれない、いまでも「あんかけスパのあんかけ抜き」と頼みたいオヤジがお送りしました。
ブログネタ:【ピグ限定】7周年限定エリアもういった?
参加中
やってきましたよ、運動神経0のおやじも必死に。
で、なんとか大きくなったり小さくなったりしながら
上までたどり着いたです。
おかげで、スクラッチも2日程自粛しましたです・・・ハイ
何はともあれ7周年オメデトです。
ブログネタ:【ピグ限定】1月の振り返りブログを書こう!
参加中
報告しないと、今度の賞与の査定に響くとか?
って冗談?は別にして、まずは
ピグ「年末年始エリア」は結構楽しんだよね。最初は人気が余りなかった「ミニぞうカー」、オヤジはこれだけ狙いだったのでさっさと取ったけど、あとあと希少価値とか言われて複雑・・・みなさん何が狙いだったのかな?
次は、ワールドとついでにライフまで露天風呂。ワールドなんて、2つだもんね。年末の恒例雪山の秘湯以来、お風呂入りすぎでふやけまくりでした。
最後は、ライフの裏庭。最初は重くて、庭友への水やりも断念したけど、長い
メンテの後はだいぶ良くなって、庭巡りも友達によって表・裏好みが判ってきて
時間かかるけど、まわってます。
以上、です。
ブログネタ:サンタの正体に気付いた時の気持ち
参加中
オヤジの子供時代、今から半世紀以上前か、サンタさんは我が家にはこなかったかな。オヤジのおやじは割とめんどくさがり屋の現実主義的なひとだったし、年末は仕事が忙しいこともあったかもだけど、クリスマス・プレゼントはかなり小さい頃からおやじやおふくろと直接交渉してた記憶がある。サンタさん出る幕なかった様な。
その後、中学から大学時代にかけては教会の日曜学校、社会人になってからも色んなクリスマス・パーティーでサンタさんやらしてもらったけど、親御さんからは「ずいぶん若い細身のサンタさんね」なんていわれたけど、小学校就学前くらいのお子さん達は本当にサンタさんだと思っている様に見えて、こっちが緊張したのを思い出す。下手に振る舞って本当のサンタさんじゃないって思わせたら、その子の夢を一つなくすことになるからね。
その後結婚して子供が出来て、海外暮らしだったのもあるかもしれないし、家内が結構そういうのを大事に思ってたのか、子供にサンタさんへのお手紙は
必ず書かせたし、イブにはサンタさんお疲れ様用のミルクとクッキーは枕元に用意したし、準備したプレゼントは子供が寝るまでちゃんと隠したし、子供が寝てからプレゼント置いたらミルクとクッキーはちゃんと食べちゃったし、翌朝子供が「プレゼント貰えた」ってきたら、「お手紙に書いたもの貰えたの?」ってとぼけたし。
その甲斐あってか、確か子供が小学校4年位のある日、家内が「今日学校で、
子供が同級生からサンタさんなんておとうさんやおかあさんさんだよって言われたって」って怒ってるの、あ、うちの子はまだサンタさん信じてくれてたんだって、ちょっと嬉しい様な複雑な気持ちだったのを覚えている。
だから今度、もう社会人の息子にあの時の気持ち聞いてみたい気もするし、いずれ息子が結婚して子供を持った時どうするのかも知りたい気もする。
けど、やっぱ聞かない方がいいとも思うな。柄にもなく、しんみりしちゃうんだよね、サンタさんは・・・
ブログネタ:今の家、人生で何件目?
参加中
このネタ見て改めて数えたら、還暦越えのオヤジ、23軒目だった。
平均3年を切ってるってことか。
子供の頃は、オヤジのオヤジの転勤に伴い、大学出るまでに9軒。
社宅の同じ敷地の中を引越しなんていうのもあったし、
大学の夏休みに長い旅行から帰ったら、母親から「マンション買ったから来春引越し」って言われて、「場所はどこ?」って聞いたら、母親が玄関開けて
下の方(社宅のアパート、確か6階位の高さ)、広い道路の反対側の空き地あたりを指差して、「あの辺」。おかげで引越しは、小物は手で運ばされた・・・
就職は親元を離れて、最初は寮、今では考えられない同期3人部屋だった。
今でもその寮で一緒だった奴らとは時々飲んでるな。
以降海外も含めると、結婚前に10軒、結婚後に4軒か。
これ以外にも、海外長期出張でホテルや現地スタッフの所に1ヶ月半とかあるけど、23軒の最短記録が国内出向先でアパート準備できる間1ヶ月前任者の
空いたアパートに契約切れまでいたってのだから、ちょっと「家」の基準が
グラつくけど、基本的には「本拠地」ってことで、いいよね。
そんな訳だから、引越しには自信アリ。滅多に褒めない家内もこの点だけは
全幅の信頼を寄せてくれてるな。
あと、最初の方に書いた実家のマンション。3年前くらいに1年だけ仕事の関係で戻ったことがある。大学卒業以来(っていっても住んでたのは3年位か)、勿論帰省は時々してたけど、やっぱ故郷って感じがするもんだね。両親は既に他界してたから、その点意外だったし、昔からいる皆さん(両親が大変お世話になっていたので一応挨拶には行った訳だけど)が妙に懐かしがってくれたのが印象的だったな。
「ふるさとは遠きにありて・・・」っていうけど、都が故郷の場合はどこへ帰ればいいのかな?「都会の空でもふるさとだろう」ってCMもあるくらいだから、こう感じてる人は結構いるんだろうね。
ブログネタ:双子は性格も似てると思う?
参加中私は似てない 派!
最近、プログネタ復活のオヤジです。このネタ自体は不満なんだけど、
絶対書かないとと思って登場です。
実はオヤジ一卵性双生児の片割れ、兄の方なんです。
正直、互いに比べられることが非常に鬱陶しい、ふたごの片割れといえども、
ひとりの人間である訳で、
一卵性の場合顔が似ちゃうのは諦めるしかないけど、そう簡単に人を
比較していいのかと、兄弟姉妹のある人なら分かると思うけど、他の
兄弟姉妹と比べられるのやでしょ。それがしょっちゅう・一生となれば、
何をかいわんやです。
顔が似ちゃうのは諦めるしかないって書いたけど、還暦すぎても、この間
山手線だかで弟と並んで座ってたら、向かいの幼稚園くらいのおこちゃまが
隣のお母さん(らしき人)に、「あのおじちゃん(おじいちゃんだったかも)たち
似てるよね」って聞こえちゃったぜ。弟も聞こえたらしく、こういう時はその
おこちゃまを二人してじっと睨み続けます。お母さんいなかったら、確実に
可愛がってあげたでしょう・・・で、おこちゃまは勿論ビビり始め、その気配に
気付いたお母さんがおこちゃまに「ゴニョゴニョ」って。恐らく、「見るんじゃ
ありません」とか言ったと思いますが。
あの晩、おこちゃまがおねしょしなきゃいいなと思いました。
で、本題に戻ると「性格は似てない」とゆうか、似てると言われない様に
意識的にも無意識でもした結果そうなったと言う面はあると思います。
性格が何に影響されて決まるのかは分かりませんが、一卵性の場合
当然遺伝子は一緒な訳ですが、外部環境は原初的な母親の胎内での
位置がかなり違うとはいえるでしょう。
誕生後の生活環境は、一緒に育てられれば似たものになりますが、
二人同時に育てるのは大変な苦労(この点は今は亡き両親に本当に
感謝しています)ですから、例えばおばあちゃんやおばさんが育児を
手伝ってくれたりすると、どちらかを主に面倒見るとかすると、微妙に
差が出てくるかもしれません。
とにかくオヤジの場合小学生の頃くらいからはっきりと、似ていると言われない様に行動する様になったと記憶しています。
ただ性格に入るか分かりませんが、とっさの出来事に対する最初の
反応は驚く程似ていると言われてしまうことが多いです。
で最後に、双子の周りの方へのお願いですが、なるべく本人たちの前で
比較するような発言や行動は控えてあげて下さい。SMAPの歌では
ないですが、ひとりひとりが違った別の人間なのですから。
柄にもなく、真面目に語ってしまいましたが、たまにはこんなんもいいかな
ってことで、おやすみなさい。
ブログネタ:全巻持ってる漫画
参加中
むむむ。このネタ見っけて書こうと思ったんだけど、オヤジかなりやばいかも。
ま、淡々と書いてみるけど。
現在進行形なのは、「美味しんぼ」で今「福島がどうたらこうたら」の111巻で止まってるのかな。主義主張が変節したり色々あるのは長い期間やってるからしょうがないとして、定期的に出して欲しいよってのはあるかな。
あとは、古くなっちゃうけど多分
「めぞん一刻」、「野球狂の詩(あってるかな)」に「銀河鉄道999」「ブラック・ジャック」ってとこかな、そこそこ長くて全巻っていえるのは。最近は、これらの子達は本を入れてあるクローゼットの奥深くに眠っちゃってるんで、ちょっと読み返したくても、掘り出し始めたら家内から「整理しなさい!」って言われそうで、おいそれと取り出せない状態がここ5年は続いてるかな。
で、なんでこんな各々の漫画家の代表作ばっかかって言うと、20代後半に海外僻地に島流しにあった時に、夜の暇つぶしに神保町か早稲田あたりで、古本
まとめ買いしたのが、きっかけだったような。
ガキの頃から週間なんちゃら系の雑誌を買う習慣は全くと言っていい程なかったし、それまでは中島みゆきのレコード(古)位しか定期的に買う代物はなかったような。
もっとも、その海外では夜は民間交流に忙しくてあまり読んだ記憶がなくて、帰任後に日本のテレビ番組とか逆に新鮮で、その辺の流れから「めぞん一刻」
や「銀河鉄道」は、揃えたような気もする。
で、冒頭書いた「なんでやばいか」っていうと、あることに気がついてしまったんだが。
それは、これらの漫画のいづれも、程度の差こそあれ「しっかりした魅力的・個性的な女性とダメな変人男のカップルが、何かを成し遂げていく」みたいな筋立てってこと。
何か、身につまされちゃうよ。漫画の趣味までこう咋(あからさま)に出るもんかね。
って、今でもたまには、響子さんやメーテル・勇気・旧姓栗田さん・ピノコ(オヤジ、ぜっていロリじゃないから)の世界に浸りたいと思うんだけど、オヤジ全然成長してないのかね、全く。
やなネタ書いちゃったな・・・
ブログネタ:学生時代に聴いていた青春の曲
参加中
前に「思い出の曲は」ってお題の時にかぐや姫の「神田川」とグレープの
「精霊流し」をあげたオヤジです。
その時書いたことをおさらいしとくと、高校生時代深夜放送でよく聴いていたのは、吉田拓郎や岡林信康など反戦系社会派のフォークソングで、大学に入ってすぐだったから思い出に残っているのが冒頭の2曲、オヤジたちの仲間内で「私小説的フォークソング」って呼んでたやつです。でもその頃好きだったのは、中島みゆきとあがた森魚なんだけど思い出の曲って感じじゃないよ、
てなことでした。
で、なんで中島みゆきとあがた森魚が思い出の曲って感じじゃないかっていうと、まず
あがた森魚はおやじ的にはロマン派フォークって感じで、「赤色エレジー」にしろその後のアルバム「日本少年」にしろ、「大正時代かよ!」って程現実からかけ離れてたから、及川恒平の「面影橋」に通じるところがあるんだけど、好きなんだけど実生活の思い出とオーバーラップしえないから、思い出の曲って感じじゃないんだろうと、そうゆう意味では今聴いてもあの頃と同じ感覚で聴けるからなんだろうと思います。かっこよく言えば時代超越曲かな・・・
一方、中島みゆきは今でも大好きで、新しい曲も含めずっと追っかけてるって意味で、思い出になり得てないってことなんだけど。
では、なぜ中島みゆきが好きかっていうと、ひとつの曲例えば「時代」とかでもいいんだけど、聴く度に微妙に違う感覚になるっていうか、極端に言えばいい曲と思えたりウザかったりするんだね。
なんでそうなるかってずっと考えてて、オヤジの出した結論が「中島みゆきの曲は鏡である」って分かった様な解らない様なことなんだけど、つまり聴き手のその時の心境のある部分を見事に映してしまう鏡ってことで、その心の一部分が
健康か不健全かが分っちゃう。そんな鏡がもう700枚以上あるのかな。
だから慣れてくると、今日はこの曲とあの曲が聴きたいってことは、心のこの部分とあの部分は健康でって、じゃあ他のところはやばいかもって具合。
もうその鏡を手放せなくなっちゃうじゃないかと。
ただオヤジ的には、天才中島みゆきといえども映りの悪い鏡はやっぱあって、
それがテレビ番組の主題歌用の曲に多い様な気がするんだが・・・
最もこれは、「オレだけの中島みゆき」の曲を一般大衆が理解出来る筈がないって言う歪なファン心理の投影かなとも、ってことは中島みゆきの曲はやっぱすごい鏡なのかも・・・






