主人公は眼鏡
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職場恋愛 <25>

【問い合わせ】




弘樹はロッカールームに誰もいないのを確認すると、携帯を開いた。


期待と不安が入り交じり、そわそわと落ち着かない。

朝からずっと、

いや昨晩からずっと。



液晶画面には今日の日付と現在時刻、あまり面白味のない待受画像がすまし顔で表示されている。



お目当てのアイコンが見当たらないのを確認して、弘樹は僅かに肩をおとした。



やっぱり…と呟くものの、ほんの数%の希望を捨てていなかった自分がいる。


もしかしたら…。

…いや、絶対有り得ない。
でも、もしかしたら…。



そうだよ、わかってる。

今日一日、期待と否定を繰り返すことになるんだって。



ささやかな期待をこめて、『問い合わせ』のボタンを押す。



問い合わせ中……
のメッセージ。



問い合わせ結果…




『0件』




はぁ…




弘樹は諦めたように携帯をパタンと畳み、リュックの中に放り投げた。







仕事中、携帯は持たないようにしている。


仕事の用事でかかってくることはないし、友達が少ないせいか、あまり着信がないからだ。


もし仕事中に着信したとしても、多分出ないけど。



だからいつもは、仕事中に携帯を開くなんて、昼休みくらいなのに。



気になって、気になって仕方がなくて。


入ってくるかどうかもわからないメッセージが気になって…そして待ちわびている。



仕事中も、どこか上の空で。



通路側、メインステージの展示替えをしながら、心は携帯へ──


こうしてる間に、メッセージが入っていたりして。

すぐ返信すると、いかにも待ってたみたいに思われそうだから、少し時間をあけた方がいいかな。
でも、アドレス渡しておいて待ってないフリも変か…


「山田くん、そのディスプレイちょっと変じゃない?」

いきなり背後から声がした。

つい妄想に耽っていた僕はビックリして、持っていた陶器の花瓶を危うく落としかけた。


振り返ると、刑部副店長が立っていた。



いつの間に、いつからいたのだろう。


「鳥かごに豚って…
まぁ、斬新でいいけど。」


「え?わあ、す、すいません。すぐやり直します。」


「いいよ。これはこれで、ちょっと目を惹きそうだから。それより、あっちでお客様が傘立てを探していたからご案内してあげて。」



そう言い残して副店は去って行った。



ああやって売場をチェックするのも、大変だなぁ。


なんて同情しつつ、お客様の所へと急ぐ。





昨日…

果たして、アドレスを渡したのは正解だったのだろうか。


急に弱い自分がしゃしゃり出てくる。


滝野さんにとったら、迷惑だったかもしれなくて。


あんな紙キレきっと…帰ってごみ箱に捨てたに違いない。



やっぱり渡さずに、破り捨てれば良かった。







「ちょ、ちょっと山田くん。お客様!お客様!」



今度は前方から、焦った様子で注意の声が入った。


我にかえると、フロアマネージャーの大阿久さんが小走りでやって来る。


視線の先は僕を通り越している。


どうやら、お客様の横を素通りし、追い越してしまったようだった。


弘樹があわててお客様に謝るより数秒早く、大阿久マネージャーがお客様に駆け寄る。

「も、申し訳ありません!私がお伺い致します。」










「すいませんでした。」


「今日、お前ぼーっとしてんな。何かあったのか?」

謝る僕に大阿久さんは、嫌味のない笑みを見せる。


ひたすら申し訳ない顔の僕。弁解の一言すら出てこない。


「疲れが顔に出てるぞ。今日はほどほどでいいから、あんまりやらかすなよ。とりあえず休憩してこい。」


大阿久さんが優しすぎて、涙がでそうになった。



僕はやっぱり小さい人間で、来るかもわからないメール一つに一喜一憂して。

そしてやっぱり後悔…



渡さなければ良かった

渡さなければ良かったなんて…


何を今更。




昨日の僕は渡さずにいられなかったんだ。


気持ちが揺らいでしまいそうな、


意気地無しの自分を見返してやる為に。


渡さずにいたら、きっともっとずっと後悔していた。

昨日みたいなチャンス、二度あるとは思えないから。


だから、



渡さなければ良かったなんて、思っちゃダメなんだ。



ロッカールームに着くと僕は、誰もいないのを確認し携帯を開いた。











職場恋愛 <24>

【宴のあと】




ここは……?




気が付くと、白で埋め尽くされた空間にいた。





ゆっくり周りを見渡す。


360度、白い景色…。



白い壁に囲まれているような圧迫感はなく、



どこまでも広がる白色の気体に、包まれているような感じだった。




ふわふわと、白い空気の中を漂う。





…ふいに、白い人影を見つけ、背後から近付く。




長い髪の女性。


見覚えのある背中。




──あれは…




わたし……?







彼女はゆっくりと振り返る。


何の装飾も施されていない、真白のワンピース。


頬には一筋の涙。






『タスケテ…』


彼女は形の良い唇を微かに震わせた。


『タスケテ…』






私は、『わたし』を見ていた。



彼女は足元に横たわった男性を見ていた。





蒼白い顔に、銀縁の眼鏡が浮かび上がる。



あれは…




まさふみさん………!





瞬間、男性の後頭部辺りから、赤いものがじんわりと広がった。



一目でそれが『血』であるとわかる。


血は男性の後頭部からドロドロと流れ出し、やがて「赤」は「白」を浸食し始めていった。




彼を見下ろすのは私。





私は叫んだ



『タスケテ』



頬には一筋の…




………一筋の赤い涙。













自分が何か叫んだような気がして亜美は目を覚ました。




よく覚えていないが、物凄く嫌な夢を見ていたような気がする。




……はぁ……



…昨晩は飲みすぎた。


頭と胃が重い。


二日酔いだろうか…




ふと、窓の外が明るいのに気付く。


時計を見ると、10:15だった。



今日が休みで本当に良かった。


安堵のため息ではなく、代わりにあくびを漏らす。



そういえば、昨日は何時に帰ってきたんだっけ…



そろりとベッドから降り、テーブルの上に置いたバックに手を伸ばす。


が、すぐに動きを止めた。


…テーブルの上、バックの脇に、小さく折り畳まれた紙切れを見つけてしまった。






昨日……



飲みすぎた私は、山田くんにタクシーを呼んでもらい…



1人で乗り越んだ。




山田くんはどうするの、と聞いたら、僕は電車で帰りますと言われた。



そして……




タクシーの後部座席の扉が閉まる直前…これを手渡されたのだった。





とくん…





折り目をゆっくりと開いていく。



いつの間に用意していたんだろう。






とくん…




もうずっと、長い間忘れていた…


もう、思い出さないようにしていた…







細かく折り目のついた7cm四方ほどの紙には、10桁の数字と、暗号のようにアルファベットが並んでいた…




亜美は、バックの中から携帯電話を取り出した。












職場恋愛 <23>

【目覚め】




6人用の大きめのテーブルの端、二人は向かいあって座っていた。



今さっきまで5人で座っていた賑やかな空間に、二人は無言のまま取り残されたように座っていた。



どこかの席から、顔もわからない中年男性の笑い声が聴こえては消えてゆく。


先程のおしゃべりが嘘のように、二人は無言のまま向き合っていた。





それはきっと数分の短い間。





…弘樹には、それが長い長い時間に感じられた。





話したいことは山程あるのに、何をどう切り出したらいいのか、整理する時間も与えられず二人きりになってしまった。



弘樹は、ここに入る前に考えていた、緊張と期待と後悔の気持ちを急に思い出していた。



弘樹にとって、この状況はチャンスなのか…
それとも…


すぐに答えを出せるはずはもちろんなく、好機であるととらえる程、この時の弘樹は冷静ではなかった。





先に沈黙を破ったのは彼女。



「なんだか変な感じ。」



「え?」



「職場以外で山田くんとこうして二人でいるなんて…なんだかおかしいね。」


『おかしい』と言う滝野さんはちっともおかしそうじゃなく、微笑んではいるものの、瞳の奥が緊張していた。



頬がさっきよりも少し赤い気がする。






「山田くんは…、私とこうして二人でいるのは嫌?」

「い、嫌なわけない。」



即答してしまった。

少しの余裕も持てない自分に、嫌気が差す。





「そう。良かった。」



きっと、知らず知らずに難しい顔をしていたのだろう。


二人きりになるのが嫌だと思われた。



嫌だなんて思うわけないのに…

ドキドキして言葉が出なくなるくらいに嬉しいのに…



「前から思ってたんだけど。山田くんって、不思議。」



「不思議?どこが?」



滝野さんは ふふ、と笑った。


「いつも何を考えてるのかなぁって感じなんだけど、仕事も考えもしっかりしてるとことか。年下だからと思って甘くみてると、大人っぽいところもあって、ドキッとさせられたりとか…。」



伏し目がちに話す滝野さんに、僕の心臓は更に波打っていた。



「山田くんと話してると落ち着くってゆうか…、安心するってゆうか…」


とても穏やかな口調。



「他の人とは話さないことも、山田くんにだったら話せるし…。あ、また喋りすぎちゃってる。」



その穏やかなトーンは、僕の気持ちを落ち着かせるどころか、一層激しく揺さぶりかける。




滝野さんも──


僕を特別な存在として見てくれているのだろうか──。


そう思うと、苦しいくらい心臓が早くなった。

このまま心臓が大きくなって、破裂してしまうんじゃないかと思うくらい。



何か喋ろうとしたけど、言葉が見つからなくて。
何か口に出せば、心臓まで出てしまいそうだった。



滝野さんは穏やかに、話を続けていたけど、僕はドキドキを隠すのに必死で、その話はほとんど耳に入ってはいなかった。





滝野さんとこうして二人になるのは、初めてじゃない。



…倉庫で埃まみれになりながら、笑っていた顔も…


人目も気にせず腕を掴んだ僕に驚く顔も…


仕事に一生懸命で、真面目で、でもおっちょこちょいなところが可愛いくて…


意外と世話焼きで、ちょっとだけお節介で、いつも他人の心配してて…


…そして、




人の傷みがわかる…

悲しいほど優しいひと。



きっと皆は気付いていない。滝野さんが他人と距離を置いてること。



僕はわかる。



僕がそうだったから。




ホントはすごく臆病なんだってわかる。



……



僕が滝野さんを初めて見た時…


あの悲しい笑顔が気になって仕方なかったのは


自分と似ている気がしたから…




滝野さんの中に、僕を見たんだ。





僕は、穏やかに喋る滝野さんを真っ直ぐ捕らえた。



もう、抑えきれない──。

隠しもしないし、誤魔化しもしない。



職場が同じだからってなんだ。



そんなことはもう関係のないこと。



僕は「職場の同僚」に恋したわけじゃない。




僕は滝野さんに惹かれている。


もう後悔はしない。


例えまた傷つくことになっても…













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