先日、テニスをやっていて、「やっぱり、ミスしないのが強いよね。」っていう言葉が出てきました。たしかに、ガンガン打ち込む高校生より、どんな球でも返すベテランプレイヤーの方が試合に勝つことはよくあります。

 身長差が大きく影響するバスケットボールも世界で勝てるようになってきた一つの要因は、日本のチームとしての徹底したディフェンスでしょう。日本人にとって守備的な戦略は、馬が合うことが多い気がします。しかし、レベルが上がれば上がるほど、ただ守るだけでは勝利を掴むのは難しくなります。そのため、守備的な戦略をとっていても、適切に攻撃的な要素を取り入れることが求められます。実際、データで見ると、日本のオフェンスも他国に劣らなくなったことが、ここまでの結果を残したと言えます。

 そして、このバランスが重要なのは、スポーツだけではありません。

 

植物の守備的な戦略

 植物は移動しない戦略をとった(移動できない)ため、守備的に生きているように見えます。そして、この守備的な戦略は、植物細胞の「細胞壁」、「液胞」、「葉緑体」という特徴と密接に関係しています。

 

 まず、細胞壁です。植物細胞の外側にある細胞壁は、主成分が物理的に頑丈なセルロースで構成されており、細胞に対する外部からのダメージを防ぐことができます。この頑丈さを利用して、たとえば麻を縄にすると、船を引っ張れるくらいの強度をもたせることができます。また、セルロースは化学的にも非常に頑丈な物質であり、どんな動物も消化できる酵素を持たないため(消化できるのは腸内のバクテリアだけ)、植物を食べようとする捕食者に対して強力な防御となります。

 

 次に、液胞です。液胞は細胞内の大きな袋状の構造で、栄養分や老廃物を蓄えています。植物は移動しないで、自身を守り切る戦略をとったため、動物のように不要なものであっても、場所を変えて、尿を通して捨てるということが簡単にできません。そのため、液胞で、不要な物質を一時的に蓄え、適切に管理しながら、場合によっては物質をリサイクルする場として重要な役割を果たしています。

 そして、葉緑体。葉緑体は光合成を行う場所であり、光合成を通して、植物が生きるために必要なエネルギーを化学エネルギーとして蓄えます。葉緑体がしっかりと機能することで、植物はエネルギーを確保し、成長し続けることができます。これにより、植物は自らの防御を強化しつつ、生存に必要なエネルギーを確保することができるのです。

 

植物の攻めの戦略

 このように、植物は移動するという手段を捨てたにも関わらず、他の種の攻撃や兵糧攻めから守り切る術をもった生物です。しかし、植物も守備だけではなく、攻撃的な戦略を持っています。例えば、一部の植物は化学物質を分泌して他の植物の成長を妨げることができます。

 また、植物は、基本的には環境に合った場所で生存するという保守的な生き方をしていますが、種子を散布することで新しい生存場所を開拓する手段も持っています。特定の場所の環境の変化を抑えるということは容易なことではありませんから、その種が生き続けるためには、環境が悪化する前に次の開拓地を見つけておかなければなりません。

 

AIと教育の未来

 このような守備的な戦略は、現代の教育にも通じるところがあります。日本の教育システムは伝統的に保守的で、新しい技術の導入には慎重な姿勢をとることが多いです。ここまでうまくいってきた部分は間違いなくあるでしょう。日本には適していたと思います。しかし、ここで重要なのは、守備と攻撃のバランスです。 「AI(人工知能)」という新しい技術は、教育においてまさに攻めの一手だと感じています。AIの導入は、従来の教育方法に対する大きな変革をもたらします。AIを活用することで、個々の生徒に最適化された学習プランを提供し、より効果的な学習を支援することが可能になります。言い換えれば、人手を多く増やさずとも、「個別」の学びがAIによって可能となるということです。

 同時に、学び方を変えることもできると思っています。最新の技術で、すべてがうまくいくわけではないですが、私の挑戦も紹介できたら良いなぁと思っています。

 また、AIは間違ったことを言うと言われます。これは事実です。私も何度も経験しています。しかし、人間だって間違ったことは言ってしまうものです。私自身ももちろん気をつけていますが完璧ではありません。もっと率直に言うと、私とAIのどちらが間違ったことを言う可能性が高いか。これはもちろん、どちらとははっきりといえません。質問によります。(AIにどんな感じで誤魔化されたかは、また別の記事で書きたいと思っています。) だからこそ、改めて自分で「事実確認」をすることはとても重要なことだと強調しておきたいと思います。AIであろうが、人間であろうが間違いはあります。教科書のような信頼度が高そうなものでも、間違いを見つけたことはあります。問題集の模範解答に至っては、間違いがあるのは当たり前です。それくらい、絶対に正しいと信じられるものは、そう簡単には手に入りません。

 適切にAI「も」疑い、適切にAI「も」利用することが大事です。

 話を戻しますが、AIを教育に導入することは、日本の保守的な教育システムにとっては大きな挑戦でもあります。前向きに捉えれば、個別の学習はAIに任せて、学校などの場では、AIとの対話ではできないもっと面白いことに時間を割くことができる可能性を秘めています。  今求められるのは、植物のように堅実な守備を維持しつつ、攻めの姿勢を取り入れることだと思います。従来の良い部分を守りながら、新しい技術を積極的に取り入れることで、未来の教育をより豊かなものにしていくことができると考えています。

 私は最近、伝統を壊す攻めの教員と見られています。本当は、ちょっと違います。

伝統の最も重要な心意気の部分を守りたいからこそ、攻めも重要だと思っています。

もともと、守備的な戦略の方が好きなので、「伝統を壊して、新しいことをどんどんしたい」と映るのは、実は相対的に教育の分野が私以上に保守的であるがゆえにそう見えてしまっているのだと思います。

 (相対的に先進的になるのであれば、教員も使えるAIの話などもできたらと思いますが・・・。ブラックと名高い教員の隙間時間で、コツコツと書きたいと思います。)