昨日8/14のヤクルト戦は、虎党にとって忘れ難い「乱戦」になった。
序盤からジリジリとした試合展開の中、7回に榎田、8回にコバヒロと勝ちパタ-ンの継投も決まり、9回は球児につないで勝ち。というシナリオを多くの虎党は頭に描いたはずです。
予想外に9回表の攻撃で、5点を追加し、8-1のセ-フティ-リ-ドになったことにより、セ-ブのつかない場面となり、最終回の守りは球児ではなく、福原とアナウンスされた時に「イヤな予感」がよぎった虎党も多いかと思います。
以前にも大量リ-ドの最終回に久保田や榎田を起用し、危うくなってから球児の急遽登板という試合もあった。
やはり、油断大敵、福原が大乱調で、2失点、1死満塁とされて、球児が緊急登板となり、宮本から三振、続くバレンティンを2死満塁からセンタ-フライに打ち取り、よっしゃゲ-ムセットと腰を上げた時に、センタ-・柴田の「信じられない落球」。
<柴田の落球>
走者一掃で2点差、思わずマウンド上の球児も「エーッ゛」と驚きの声を上げていた。
その後、暴投、サード新井のエラ-等で、1点差2死2塁と同点またはサヨナラの局面まで追い詰められながら、武内を三振斬りし、8-7で薄氷を踏むような試合終わりでした。
でも、これ考えようによっては、同点や逆転サヨナラ負けであれば、昨日の試合は「終戦記念日」にも成り得るような大きな試合となるところでしたが、何とか勝ったのだから、今年の阪神は「持ってる」ともいえるようにも思います。
もしも敗戦ならば、落球の柴田、乱調の福原、逆転を許す球児と、3人の選手が大きな傷を負い、チ-ム自体も大失速する危険もあった。
柴田には、一層の鍛錬で、立ち直ってほしい。
センタ-の落球といえば、オ-ルドファンならば、1973年のセンタ-・池田選手の「世紀の落球」を想い出すことでしょう。
<池田の落球>
自分は、野球ファンの学校の先生から授業中の雑談で、「百万ドルのエラ-」という話で聞いたことがありました。動画映像は観たことがないし、今から観たいとも思いません。
色々な記述によると、73年に結果的に巨人のV8となった年に、優勝争いをしていた8月5日の甲子園の阪神-巨人戦にて、9回表2死1,3塁で1点リ-ド、マウンドには江夏が立ち、黒江をセンタ-守備範囲に打ち取り、ゲ-ムセットと誰もが思う場面で、センタ-・池田純一が窪み(モグラの穴?)に足をとられて仰向けに転倒し、倒れつつ、やってくる飛球にグラブを差し出すも僅かに届かず、2走者がホ-ムインして巨人が逆転。その裏の攻撃も抑えられて2-3で敗戦。
結果的にシーズン最終戦を巨人に敗れ、0.5ゲ-ム差でV逸したので、改めてこの落球がクロ-ズアップされ、「世紀の落球」と語り継がれているようです。
自分は、その後、低迷した池田選手を再生させようと、数年後の当時監督だった後藤(クマさん)監督が開幕戦だったかオ-プン戦だったかにスタメンで中軸を打たせたものの、さっぱり打てないまま終わってしまったということだけを記憶しています。
全盛期を知らない自分にとって、ふっくらと太った風体の池田の打席を観た時には、多くの期待もできず違和感だけが残っていました。
色々大変だったということは、後々に知ることになりました。
彼の球歴や詳しい記述は下記を参照ください。
池田純一 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E7%B4%94%E4%B8%80
トラライフさんのブログ
http://www.tora-life.net/memories/memories4_14.html
73年の一件から、7年後の78年に寂しく引退し、球界からは離れて洋品店「ラッキ-ゾ-ン」を経営し、2005年に59歳にて短い生涯を閉じています。
一部の心ないファンからの嫌がらせも度々あり、ノイロ-ゼになった時期もあると聞きます。甲子園球場に足を踏み入れると、フラッシュバックし、めまいを起こした。とも聞いたことがあります。
30年経過した時にこのプレ-について尋ねられた時に、池田はこう答えています。
--------後藤正治著「牙-江夏豊とその時代」より---------
『いまはこう思っていますね。誰にも消せることなら消したいことがあるだろう。消しゴムで消せることならそれを消し去りたい。
でもそれは実は消すべきものではなくて、そこに大切なものがあるんだよ。ということでしょうか。
そこに拘りつつ、試練を受け止めて新たな出発をする中にあなた自信があるんですよ。ということでしょうか。上手くいえませんが。------』
この試合以降、池田純一は生涯この試練を背負ったままでいたようで、気の毒でなりません。
そして、あれから30数年後の「暑い夏」
<ゲ-ムセットの瞬間>
昨日の試合終了の瞬間、柴田は血の気の引いた青ざめた顔でマウンドの球児に深々とおじぎし、球児からは笑顔で声を掛けてもらっていたのが救いです。
球児も談話で「高校野球みたいでおもろいやん。抑えてやれば、柴田にとってええ経験になる」と貫録のコメントを残してくれたのも救い。
それは全て「勝った」からに他なりません。
試合後のベンチからレフト裏のクラブハウスに向かう「ビクトリ-ロ-ド」でも、多くのファンから「ドンマイ!」と声を掛けられていたそうです。
テレビの映像を観ていても、何度も歩きながらファンにおじぎし、最後にグラウンドにも一礼していました。
過度の緊張とはいえ、一瞬の気の緩みであるということも否めないかと思います。
今年の春のキャンプ中継で、外野ノック中に、センタ-の専門家の解説者・福本さんが彼のノックされる姿勢を観て、スタートの一歩目が軽くジャンプしてから打球に向かう点が気になる。これでは球際にあと一歩及ばないこともあり得る。というようなことを言っていました。捕球の瞬間も軽くジャンプする癖もあったように思います。
昨日の落球のシ-ンは、足を止めて拝み捕りのイ-ジ-な打球だったはずです。或いは強打・バレンティンの打球だったので、変な回転の打球だったのかもしれません。
一切のエクスキュ-ズは言ってはいけない。その瞬間に目を切っていて気付かなかったライトのマ-トンの姿勢ぶりも見逃してはいけない。
ただ、今後の柴田の「球運」も、今後の彼の鍛錬次第、もっと言えば、「真摯さ」だと思います。
「柴田講平」。この名前は虎党は忘れないだろう。
そして、願わくば「ノーモア池田」。
この試合以降、「彼は成長した。」、さらに、「チ-ムも加速した。」と言わせてほしい。
ただそれを「願う」のみです。。