<本日の愛すべきロクデナシ>
「無いものは生みだす」
コドモゴコロは可能性に満ち溢れている。
インドで縁あってひとつ屋根の下暮らすことになったオーストリア人のshuali。
彼は自分と同じだけの年月を生きている、言ってみれば同級生。
オーストリアの広大な自然の中生きてきただけあって、順応するチカラが光っていた。
はじめて出会ったその日にビールを交わし、英語の下手っぴな自身のもどかしさも
ありながらも3時間近く薄暗いバーで語った。
その時の会話は山と音楽とライフスタイルのお話。
不思議なほどに近い存在に感じられた。後に同じ児童養護施設で活動し、同じ家で生活する家族になるとは、その時は想像もつかなかった。
言葉がなくともコミュニケーションは
「リズムと呼吸を合わせること」
それで成り立ってしまう。
彼とのセッションを繰り返す度に学んだことだ。
「太鼓を叩きたい」という話が持ち上がったとき、その場に楽器なるものはなかった。
双方旅の途中なので楽器を買うほどのお金は持ち合わせていなかった。
その時彼が町へ自分を連れ出し、目を輝かせながら手に入れたモノはフラワーポットと模造紙だった。
「Let's make Djambe」
家にあったほんの少しのお米を溶かし、それで糊をつくる。
フラワーポットに模造紙を丁寧に重ねて張り付け厚みをつける。
その過程をただただ純粋にコドモのように楽しみながら・・・・・
あくる日彼はまた町へ繰り出し、雑貨屋でプラスチック製のホースを2m買ってきた。
それは倍音が響き渡るディジュリドゥとして使われた。
フラワーポットで作ったジャンベとプラスチックホースでできたディジュリドゥで
村の中でリズムを合わせたコミュニケーションは、村の子供たちとつながるきっかけともなった。
「無いものに嘆かない、無いものは生みだす」
コドモゴコロを忘れないオトナ。
それはその過程を素直に楽しむことなのかもしれない。(FIN)


