ある日なんとなくK-1の試合を見ていた。

武蔵が2回戦まで勝ち抜いて、日本人初のK-1グランプリ王者になるか否かってときだったと思う。

私は武蔵が嫌いだった。

試合がつまらないから。

時間いっぱい使って、判定勝ち。

こんな試合が多いからだ。

格闘技とは1分弱くらいでパンチがパコーンと当たって

K.O!

みたいな試合が「うおおおおおおお」ってなる一瞬だと思っていた。

それ以外の試合って、大した決め手もなく

まあ他人の評価で勝ち負けが決まるから

判定とかつまんないなと。


しかしその時不思議な感覚な感覚が私を襲う。

もしかして・・・彼は強いんじゃないか?

いつでも同じような試合も

武蔵のペース。

判定だけど結局勝っちゃうのも

武蔵の流れ。

お決まりのパターンに飽き飽きではなく

彼のペースにみんな巻き込まれてるだけ?

その不思議な感覚に囚われたとき、私の頭はどのような現象が起こったのだろう。

私はそのとき「武蔵」に対する見方を変えたのだ。

その者を見る角度を変えるだけで

嫌い → 強い

になった。


こんな簡単な事を忘れていた。

○○ちゃんはこういうところもあるけども、あんないいところもあるじゃない

よく母親が言った。

悪い面ばかり見ていると、人は必ずその者を嫌うようになる。

いい面を見て、悪い面が許せるようになってくる。

そこから人間関係といえる何かが生まれてくるという母親の言葉。

小さいときに教えられたそんな普通のことを忘れてしまっていた。

人を許して、認めて、敬う。

簡単なようで、一番難しい。


さて、実践。

私は当時、満員電車で有名な悪魔の地下鉄。東京メトロ「東西線」で通勤していた。

夜8:00。

毎日日本橋で乗り込んでくるおばちゃんは

パンパンになったスーパーの袋を平均2個は持っている。

彼女は中身の品を守ろうと必死である。

私はそんなオバちゃんが嫌いだった。

命名「武蔵の定理」を活用するときは今ぞ。

私はオバちゃんの私生活に関するショートストーリーを頭の中で描いてみた。

中学生の息子×1 小学生低学年くらいの娘と息子

息子「母ちゃんが帰ってきた!!!」

娘「わーいわーい、今日のゴハン何?」

母「はいはい。ごめんね、毎日遅くて。今日はカレーライスにするからね」

息子②「いいよ!僕お母さんのカレー大好き!」





ジーン ガチャピン






急ブレーキでよろめいた彼女に私は言った。

「大丈夫ですか?」

彼女はこう返した

「こんな混んでるのに大荷物でゴメンね」

心が暖まった瞬間。 

人と人とが、分かり合えた瞬間。

こんな気持ちのいい瞬間はほかにはないだろう。