窓を開けた とんぼが飛んでいる 

各個 自由に飛んでいる

 

空気が綺麗になってきたのかなと嬉しくなる

 

以前 夕方になると赤とんぼの群れが飛んでいる素晴らしい風景を見ることが出来たが 

ここ数年はトンボの姿さえ見ることはなかった 

 

トンボ釣りの竿は母親が作ってくれた 

細くて長い竹竿の先端に透明な糸を括り付け 2メートル程の長さのところに雌のトンボを結わえて出来上がり 

 その竿を手で持って高く掲げると雄のトンボがやってきます それを素早くとらえます トンボ釣りなのです  

 

 

トンボ釣り今日はどこまでいつたやら 千代女

 

とんぼ帰りという言葉がありますネ この言葉は何処から出たのでしょう?

私の母方の系図は今川義元から始まる 代々頭脳明晰である

小学生の時行われた知能テストでは抜群の成績であった 

 

姉6年生 私3年 妹1年生の時3人揃って優等賞を貰い母親を喜ばした

 

その系図も消えようとしている 跡継ぎの家系に子 孫が無い

 

寂しいが今更救いようがない  

 

今川義元 簡単に説明する

 

桶狭間の戦いで織田信長に敗れた武将である 今川義元の軍は強く歴戦連勝

美酒に酔っている時 背後から織田軍に攻められ 敗退した

小学生の時 テンカンにかかつている生徒が転校してきました

先生は私の隣にその子の席を設け 世話をするよう 命じました

 

テンカンの症状がでると突然大声を出して立ち上がり オシッコしておさまります 

 

オシッコの始末をするのが私の仕事でした

 

何故私にその仕事をさせたのかわかりませんが 当時副級長でした

 

級長は男子 副級長は女子でした まだ男女同権の時代ではありませんでした

若い頃 スケッチ旅行でパリに行った 

お土産のチョコレートを買い 駅前のベンチに坐り道行く人をぼんやり眺めていた  

 

そこに一匹の大きな犬が現れた 犬と目が会った 私は恐怖の目を浮かべた板と思う 

 

とつぜん 私をめがけて走りだした あわや と思う瞬間 隣に座っていた人がかばってくれた  

 

今でも忘れられない犬 白地に黒と灰色のぶちのある大型犬だった

 

私には残念ながら パリには良い思い出がない

昭和2年生まれ 文明のはざまに活きてきました

私の子供時代  

水道はなく近所の共同井戸までくみにに行き 台所の大甕に溜めていた

電機は漸く普及し始め 長く続いたランプ時代から脱却し始めていた

瓦斯はまだまだ一部の富裕階級のみで 普通の家庭では夢のようなものでした

 

女の仕事は一日中 忙しかった 

私は学校から帰るとすぐ母親の仕事にかりだされた

 

例えば蒲団作り 蒲団の綿を抜き ほどいて 洗い張 そして縫い上げ 

打ち直しに出していた綿を入れ仕上げる 大家族のを順番にしました

今のように羽根蒲団等ありません

 

お茶一杯飲むのも 火をおこし薬缶に水を入れて沸かさねばなりませんでした  

ご飯は羽釜で炊きました コツも覚えました 

おかずはコンロで煮ました コンロは土製でよく壊れました

燃料は消し炭 木炭 豆炭 練炭 など 

 

勉強などしている暇はありません

 

火の使い方一つでもで頭の良し悪しが分りました 母は賢い人でした

 

女の仕事は殆ど見よう見まねでおぼえました

私は幼い時母から遺伝の事を教わつた

 

難しい話ではない  耳垢の事だ  

 

私の兄弟姉妹 耳垢がカサカサ派としっとり派がある 

 

これが遺伝によるものだと分かった 父はカサカサ 母はしっとり 

 

産まれた子供もしっとりとカサカサと両方ある

 

遺伝によるものだと知った

パソコンを娘から習って半世紀たつ 今やパソコンは我が友 我が話し相手の存在だ 

 

わからないことがあればパソコンを開いて 検索する 忽ちにして解決 

 

昔は古老と言って物知りな老人が貴重な存在であったが 今老人の出番は無いに等しい

 

それにしても95歳でパソコンを操作できる人はそう多いくはあるまい

私は恵まれている

昨夜 夜中に水を飲みに台所へ来たら 何と大きなゴキブリが1匹 床にいた 

 

慌てた私 急いで箒を振り上げ退治しょうとしたが一瞬の差で逃げられた

 

数年前にも一度同じようなことがあった 

逃げられたが住み着かれるようなことはなかった

 

彼のゴキブリの先遣隊長 この家は住みよくないと判断したらしい  

 

さて今回はどうか?住み着かれないよう要注意 

 

 後日談 幸いにもゴキブリはこの家に住み着くことは諦めたようです

私には悔いてやまないことが一つあります 或る小学校でのことです

 

戦時中の事です 女学校を卒業しても同じ軍需工場で働かねばならなかつたので 逃げ出す方法を考えました そして

 

小学校の先生に採用されたのです 受持ちは3年生でした 全科目を教えねばなりませんが私はオルガンを弾けませんでした      

 

学科の音楽のテストの時は 前奏だけひいてあとは無伴奏で歌ってもらいました  

 

生徒の中に勉強はできないけれど歌だけはめっぽう上手な女の子がいました テストも上々でした 

当然最高点をあげねばいけません なのに4をつけ 同じクラスにいた同僚の妹に5をつけてしまったのです 要するに贔屓しまったのす 4を貰った子の歎きはいかほどだったか! 

 

私の若気の至り 悔いても悔いても償えない誤りを犯してしまいました 今でも謝りたい気持ちです

電報を使うことは少なくなった 祝電 弔電 は今でも有るらしいが

 

電報  が くるとチョット 驚いてミガマエタものだった 

 

カネオクレ  チチキトクスグカエレ 等 体に障るカタカナの文章であったから