先日 知人がひょつこり訪ねてきた
50年余も会っていない
名乗られてしみじみ顔を見てようやく分かった
顔って変わるモノだとさとった
朝起きて顔を洗う その時鏡に映つた自分の顔を見る
歳を重ねた顔がある 善人の顔だ
悪い事一つしてこなかつた 人を泣かせたことはない
人を援けたこともないし助けられたこともない平々凡々な生活を過してきた
善人の顔 悪くはない
先日 知人がひょつこり訪ねてきた
50年余も会っていない
名乗られてしみじみ顔を見てようやく分かった
顔って変わるモノだとさとった
朝起きて顔を洗う その時鏡に映つた自分の顔を見る
歳を重ねた顔がある 善人の顔だ
悪い事一つしてこなかつた 人を泣かせたことはない
人を援けたこともないし助けられたこともない平々凡々な生活を過してきた
善人の顔 悪くはない
今朝姉から電話があった 97歳になる 若々しい声で元気そうであった
95歳の私の負け
この姉 独身
女学校卒業後洋裁学校へ入った いつ時心斎橋筋の洋装店に務めたが独立し洋裁一筋で過ごしてきた
今でも長姉から譲られたミシンを踏む 蛇の目ミシン 足踏もう100以上使用中
時々油をさすくらいで故障無 まだ私にスラックスなど作つてくれる
私は変わつた学歴をもっている 6年の時進路指導があつた
父親が姉の制服が間に合うからとの理由で女子商業校に決めた
わたしと同じくらいの成績の友達は県立第一高校に決まつた
私はこの時初めて貧富の差を知った 県立第一高校に通う友達を羨ましく思った
その友人は医学部へ進み卒業後病院を開いた
私はたまたまミツション系の学校 後で知ったが お嬢様学校に迷い込んだ
授業は平凡であったが 講師として派遣されていた先生の授業は面白かった
卒業後母校の助手をしている時 招へいで大阪市立大学の助手になった 給料が倍になったのは嬉しかった
結婚し2児に恵まれ 夫の転勤で東京に転居するまで勤務した
私の母はある布教師に狙われた 子供を亡くし力を落としている時 言葉巧みに寄り添った
母は月々の家計から献金をしたので それが原因で夫婦喧嘩が絶えなかった
子供の時 毎日の様に夫婦喧嘩を見て育った
夫婦喧嘩の果て別居していたときもある
私は父親に連れられ育てられた
何年か後 母親が戻ってきた
そのとき驚いた事に母親に連れられて行っ た妹は私より体格が大きくなっていた
以後ずっと私より大きい
父親が作る食事にはムラがあったためだと思う
最近地震が少ないが?
終戦の直前に大きな地震があった 阪神淡路大震災です
この地震については報道されなかつたが 終戦を早めたことは間違いない
その日私は学徒動員で工場へ働きに出ていた
大きな揺れで工場はめちゃくちゃに壊れ 友人の一人は亡くなつた
交通はストツプし長い距離を歩いて家まで辿り着いた 幸い家は建っており 心から安堵した
帰る道で気が付いた 道の右側の家は変化ないのに左側はペシャンコに倒れている 地震には波があることに
学童疎開で田舎のお寺へ避難していた子供たちが大勢お寺 の屋根が崩れ下敷きになって死んだ
子供の頃 夏の終わりに地蔵盆がありました
活発だった姉にくっついて御地蔵さんめくりをしました
お地蔵さんには子供向けのお菓子が用意されていてお参りすると貰えました
貰つたお菓子 家に持ち帰ると母親に乞食みたいだと叱られるので土管の中で食べました
どんなお菓子か覚えていませんが 懐かしい思い出です
水 私の幼い頃 共同井戸へ水汲みに行き台所の大甕に貯めて使っていた
水汲みは子供の大事な仕事であった
水道が通り蛇口から水が出るようになり ありがたかったです
風呂は家庭ではなかなか入れません 贅沢でした
父親に連れられて銭湯に行きました 男湯の中で無邪気に走り回っていました
冬の寒い日の帰路 使ったタオルがカチカチに凍りました
翌朝顔を洗い 凍ったタオルでふきました そつと・・・・
懐かしい思い出です
私の小学生の時代 クラスの中に青洟を垂らした子が何人かは居た
袖口で鼻を拭うので 袖口がピカピカに 硬くなつていた
今になつて分かるが それは栄養失調によるものだ
今 青洟を垂らしている子など一人もいない
わたしも同じだつた 算数の先生のお宅に通っていたが 授業中 鼻汁が出て困った
噓ついたら針千本飲ます 嘘は泥棒の始まり 嘘も方便 嘘から出た誠 などおなじみの言葉
正直者はバカを見る というのがあり さてどうしたらよいのか?
私は馬鹿でもよい 正直に生きてきた
エンマ大王に舌を抜かれる事はない
近頃は年寄り臭い服装を着たを来た人 一人も見掛けない
先日知人が来訪 見れば上着は華やかな花模様 スラックスは白
とても良い 90歳にもうじき手が届く年配とは思えない
道行く人も 身ぎれいだ
服装店から年寄り服が一掃されたのかな? 作つても売れないのでしょう
わたしも負けてはいられない